【幸福道10】幸福道は時空の縦軸に

 神奈川新聞(2020年9月4日 朝刊)に、ユニセフが先進国と新興国、合わせて38ヵ国に住む子供の幸福度を調査した結果が掲載されました。日本の子供の幸福度は38ヵ国中、何位だったと読者の皆さんは思いますか?
 なんと37位、ほぼ最下位でした。ご両親、学校の先生、進学担当の先生、国のリーダーの政治家の皆さん、この結果をどのように捉え、また今後どうすれば良いと思われますか?
 日本の子供達のいじめや自殺が多い問題は未だに解決には至っていません。私は、あまりにも偏差値重視に偏った教育が、この様な結果を招いてしまった一つの要因であると考えています。
 子供の将来を思って、その子の個性や夢よりも、進学とその先の就職(安定した高所得)を考え、偏差値重視となってしまいがちな親心は理解できます。しかし、それに偏ってしまうのは問題です。
 そして大人たちが、「人生には様々な選択肢がある」事、人としての正しい歩み方や幸福とは等、幸福道を歩む術を語る・伝える事が出来ていないのではないでしょうか。
 日本では、飢える事もなく、清潔で美味しい水はいつでも飲めますし、自室にもテレビがあって、小学生まで自分の携帯電話を持っているとか…。こんなに物や衣食住に恵まれているのに、日本の子供達の幸福度は低く、なんと自殺まで多いのです。
 昭和の時代は経済的にも安心できるとされていたエリートコース=一流進学校→一流大学→高給が保障され安定した一流企業というコースは、令和の今は既に神話なのではないでしょうか?
 また例えこのコースを歩めたとしても、それが各人の幸福感に結びつくかと言えば、その保障はありません。
 令和の今、昭和には考えられなかったユーチューバーが子供達から人気№1の職業だそうです。
 皆がユーチューバーで成功する保障はありませんが、私が学生だった時代よりも、職業の選択肢は増えた事は確かでしょう。
 昭和の時代、音楽・ギターの分野では、その子が誰もがうらやむ適性があったとしても、保護者や進路指導の先生等からの反対があり、子供の希望がすぐに叶えられる事は殆どありませんでした。私自身も親に猛反対されました。
 以前より音楽で生活する分野は大きく広がりました。しかし、それを認識されていない保護者も多いです。そして学校では、成績優秀な生徒が音楽の道に進みたい場合、“こんなに偏差値が高いのに、何もギターの専門学校になど進む必要はない、やめなさい”と強く言われてしまうこともあります。
 未だにこの現象はありますが、生きがいづくりの専門家が求められている時代になって来たことは、多くの方が認識されているのではないでしょうか。
 また、全国の音楽教室で、「受験の為」の退学が多かった時があります。受験に集中する為に、趣味の習い事は一切止めることが当然と思われていました。しかし現在では、受験勉強で左脳を酷使する時期だからこそ、週に一度くらいは、ギター(音楽)を楽しみ気分転換をして、カチカチになった脳をほぐし、脳のバランスを取り、人らしさを取り戻す絶好のチャンスとして捉えている方も多くなりました。
 ギターを奏でている時の子供達の、あの瞳の輝きを見落としてはなりません。
 将来、非常にハイレベルで厳しい職場に就職する人(生徒)ほど、その環境の中で、“人らしさをどのようにして保持して育むか、心の健康を維持する方法”を、周りの大人たちがアドバイスする必要があります。
 未来ある若者達を、自閉・自殺に追い込んではなりません。2020年10月23日の朝刊には、いじめは2万8千件に増し、不登校生は18万人に急増したとありました。これを止め、改善する事が課題です。
 私は、あまりにも日本の教育が偏差値重視に偏ってしまった事も、このような状況を招いてしまった大きな要因であると捉えています。
 私自身、一人の教育者として、いじめ・自殺・不登校などの問題を改善したいと強く願っています。そのアイデアを以下に記します。
 まず“考え方、導く方向・方法を横軸から縦軸に変える事”=今中心ではなく、歴史に沿って見ていく事です。
 時を止めて横軸で見ると、今の数字をつい追ってしまいます。今の偏差値、今の有名校、今の会社等々。しかし歴史を見ると、そのほとんどが変化してしまっている事が分かります。60年,70年前の東大卒が目指した鉄鋼業、その後の銀行業も、今はIT産業へと変化しているのが実態です。
 大切なのは、一人一人の1年後、5年後の成長と、現在と未来の社会が求めているものをしっかりと考えて、出来る限り時空を縦軸で見て、生涯に亘って人らしい幸福を歩める方向をアドバイスしてほしいのです。

 2020年10月末、現在の新堀チームの本部管轄教室への入学・問い合わせアクセス数は、昨年の2倍となり、1ヵ月間退学者が出なかった教室は3倍に増しています。即ち、このコロナ禍の環境の中、音楽を楽しみたい・奏でたい、生きがいや楽しみを見つけたい人達が激増している事が分かります。
 又、新堀ギタービルの空室も次々に埋まりましたが、入居する人達のほとんどが、コロナ禍で“困った人達を支援するチーム”や“心が病んだ人達のカウンセリングチーム”です。
 新堀ギターも演奏技術指導の先の“生きがい見つけ”に応えられるコースが益々重要になって来て、そのための指導者の育成強化は最重要となって来ました。
 それも考慮されてリニューアルされた国際新堀芸術学院・高等課程=「湘南ミュージックハイスクール」のスタート(2021年4月1日)は、待ったなしとなっています。生きがいを育む先生づくりは、今後最も求められています。

 前述の日本の子供達(15歳)の幸福度(脳が想う)は、ほぼ最下位ですが、身体の成長と健康度は世界上位との事です。
 しかし、清潔な水,豊かな食べ物,自室もあり学校にも行ける恵まれた環境の子供達が多くても、不登校と自殺者数は世界上位の多さなのです。
 幸福を感じるのは「脳」です。物の豊かさと幸福感は必ずしもイコールではありません。
 即ち、時空を止めて横に並べて他者と比較しての優劣を追うと、個々の良さ・幸福感・感謝が育ちにくくなります。
 こうならない為の家庭や学校、国づくりのコツは、全ての現象・時空を縦軸で見れば良いのです(ここが非常に大切な分岐点です)。
 その第一歩は、父母(又はそれに代わる身近な人)の存在の意義です。
 縦軸(歴史)から見れば、自分がこの世に生まれた事も奇跡の連鎖である事が分ります。その歴史を伝える事は、大人達の役目です。歴史を知る・学べば、良い事も悪い事も、あなたの命を支えて来た事への「感謝」が生まれて行くでしょう。ここがカギです。
 続いて、祖父母に兄弟、そして関わる人達全ての話も生きて来ます。先生の話,町の話,国の話,宇宙の話,命,感謝,生きがい,幸福道へと導けます(要するに歴史を語る事です)。
 これを家庭も学校も国もきちんとやれば、必ず本当の「感謝」が出来る人が育ちます。命の大切さ、平和の大切さも理解し、幸福を感じられる道を見つけ歩めるはずです。
 “そのような道をつくろう”と人生の先輩が想い、努力を重ねる事が後進への愛情ではないでしょうか。
 時を止めて、横軸(今だけ)で周りを眺めてみてください。日本の今の時期(10,11月)は、紅葉の美しさに魅せられることでしょう。木の葉の色や香り、葉擦れの音も、そこに佇んでいると、この幸せは昨日も今日も、しばらくずっと続くと思えてしまいます。目の前にあるギターも、愛用の家具も…。しかし、時間の動き=縦軸で1ヵ月,10年,100年を見ると全てが変っていくのです。自分自身も毎日変化して行っているのです。
 私が少年の頃は日本中を走っていたSL(蒸気機関車)ですが、今では石炭で走る列車はほとんど無くなりました。もうすぐガソリン車も無くなるでしょう。
 一方、鮮やかに色づいた木の葉はやがて散ってしまっても、木の幹や根は年輪を刻みながら成長を続けるように、未来へ希望をもたらしてくれるものもあります。
 そのように、人生には刹那的な楽しみもありますが、人生100歳時代には時間をゆっくりかけた、もっと心の糧になる楽しみもたくさんあります。
 そこに行くコツは、“時間をかけたか否か”にあるのです。これが見えるのが、時空を縦軸で捉える、即ち「歴史を追って学ぶ」事なのです。
 
 そもそも時空“時間の流れ”とは、どういうものかをもう少し深く考えてみましょう。
 文字で表わすと、全ては「過去の事」という事になります。では「過去」とは、いつからいつまでの事でしょうか。いや「現在」とは、どこからどこまででしょうか。いや「未来」とは?
 
 “クラシック音楽とは”いつからいつまででしょうか。モーツァルトやベートーベンが今、作曲したとしたら、ジャンルは何に分類されるのでしょうか。今、完成したのだから現代音楽?
 畑中雄大氏は、新堀ギターオーケストラがイタリアで公演するのを記念して、平和を願った「ポンテ・フェリーチェ」というクラシックの曲?を書きました。アバンギャルド(現代音楽)ではありません?!
 今、作曲したクラシック曲(クラシック=古典時代=だいたいベートーベンの時代)と日本では分類します。現代で作曲したのにクラシック?なのです。
 以前から感じていた事ですが、日本の音楽ジャンルの表記がおかしいのです。特にクラシック。
 直訳すれば「古典」ですが…、そうすると、クラシックギターとか、音大はクラシック中心とか、はては楽器店・書店のクラシックの表示は、ほとんどがおかしな事になってしまいます。

 そもそも厳密には、俗に言う「現在」も「未来」も無い(?)のです。ただ「過去」が営々とあるのです。全部過去の存在の連続なのです。今、起こった事はすぐ過去になってしまいます。
 ですから「学ぶ」とは「過去を学ぶ事」であり、過去ほど大切なものはないのです。しかも全て切れ目なく、今と結び付いているのです。それは歴史の事でもあり、起こってしまった事なので、未来や現在よりも信じられるものなのです。
 科学が進む程、過去の存在幅が増して行きます。携帯の画像もテレビでの録画も、江戸時代から考えると信じられないスピードで過去の分野が増した事を確認できるのです。天気予報に至っては、未来の事まで、過去の分析で現在に引き寄せ、それを動かして仮想過去(?)の分野までつくり出しているのが今であると言えるのです。
 故に、少しでも確かな人生の幸福道を創るには、現代のデジタル化=スピード強化時代の中では、そのスピードをゴールに置くのではなく、スピードを求めて得た時間を、幸福道にどのように転換するかに焦点を定める事が最も大切で、この事を決して忘れてはならないのです。