【90歳夢道8】「ガチャ」に想う(2)

2022年に発売された新堀の看板ガチャ(カプセルトイ)
 新堀ギター音楽院創立66年間で、最も多くの生徒さんを生んだものは、2023年にガチャ(カプセルトイ)にもなった皆さんにお馴染みのあの「新堀ギター」の看板です。
 これはブリキ板をメラミン樹脂で加工して錆びにくくしたもので、当音楽院の職員は「メラミン看板」と言っています。現在この看板は業者さんに作ってもらっています。
 しかし、それを設置しているのは業者さんではありません。主にその地区の教室の先生方です。時には合奏団員の皆さんも協力してくださっています。
 この方法は、前項でお話ししたように、創立者の私が始めたものです。
 1軒1軒許可をいただいて張らせてもらっている看板なのです。
 この看板設置の主旨(よい音楽を広め、地域に生きがいづくりを定着させたい)をお話しして、許可をいただけたら、お礼にコンサートのご招待券などをプレゼントしたり、様々なイベントもご案内して、温かいご縁=人間ネットワーク(人々の輪)づくりを担って行く事を目標としています。
 故に、このメラミン看板が多く張られている地域ほど、コンサートに来ていただけるお客様が増し、入学される方も多いのです。
 実は、ガチャになった看板とは違う種類のものもあります。教室の近く(徒歩で行ける3キロ内位)には「お知らせ看板」と言って、コンサートの案内を貼り替えられる看板があります。お知らせ(紙の宣伝物)の貼り替えは手間がかかりますが、これを実践している教室と、そうではない教室では、発展の違いが出ます。イベントやコンサートを頻繁に行ない、お知らせ看板を活用できている教室は活気があり、来場者や生徒さんが増えて行きます。

 前項で触れたように、「新堀ギターの看板」ガチャは、第1弾は残りが少なくなり、第2弾の校正が来ました。第1弾でレトロ感を出したサビ付きのものが人気が高かったためか、今度は何と5種類の内、4種がサビ付きです。私はピカピカの看板がいいのです。それが古めかしいサビ付きが殆どだなんて…あまりの事に一旦は却下しました。しかし、一晩考えました。製作会社のデザイナーが腕を振るって創った作品との事。あまりにもリアルなのです。本当に悩みました。サビが出た看板は、経営者から見ると恥ずかしいのです。その地域の先生の管理責任も問われます。街の美観も損ないかねません。
 ところが、ところがです。
 製作会社の人達はもちろん、他の人達も“ピカピカのよりもサビの看板がいい” “よくここまで頑張ってくれた看板だネ” 等と言ってくれるのです。
 “幼稚園児だった頃から、この看板を知っているよ”と…。
 このサビが付いているお馴染みの看板は、その人の人生と共に、雨風に耐えて頑張って来たもので、人生のアルバムになってしまっているのです。夢を追った人生、夢道の一コマだったのですね~。
 ピカピカの看板ガチャを作るより、サビ付きの方が製作をするのに手間がかかるそうです。特にリアルなレトロ感を出すのは並大抵ではないそうです。
 私はNゲージの鉄道模型が趣味で、そのレイアウトを長年やっているので、よ~く分かります。昔を思わせるアンティーク調・ヴィンテージ感を技術で表わす事がどれほど大変か…。
 ガチャ愛好者の皆さん、ぜひ何度かこの 「新堀ガチャ」 にトライして、味のある一品をゲットしてみてください。尚、このガチャの看板に書かれている電話番号は今も使われているものです(笑)。

 次は、看板の話つながりで、看板が原因で、危うく私が前科者になりそうになった話です。
 これも20年位前になるでしょうか…Kホールで、ギターオーケストラのフェスティバルを開催しようとした時の事でした。
 当時、この近辺の治安が悪化し、町民は警察に次々に苦情を言い続け、警察官達は懸命に努力し、特に若い警官達は連日連夜の勤務で大変に疲弊していたそうです。
その彼らの神経を逆なでするような事を、新堀の若いハリキリ職員がやってしまったのです。
 この地域の警察官たちは、客引きや無断ビラ貼り・ビラまきの取り締まりも厳重に行なっていました。そのような時に、K君は事もあろうに警察署のすぐそばに堂々と、新堀ギターフェスティバルの道案内用の捨て看板(ステカン)を掲げてしまったのです。
 巡廻中の警察官に現行犯でつかまり、教室主任の先生が警察署に出向き深々と謝罪しましたが収まりません。次に更に上の教育部のトップが行きましたが拉致があかず、代表者の「新堀を出せ!!」という事になったのです。
 警察の取り調べでは、若手とベテラン警察官の二人で行なわれる事が通例のようで、特に若い警察官が責め立てる突っ込み役、ベテランが“あなたの気持ちもわかるよ”となだめ役のようです。
 K君の看板の出し方に、おそらく若手の警察官の怒りが収まらず、このような事態になってしまったのではないかと、私は思っています。
 新堀側(K君側)の立場での話を少し聞いてください。
 私達は年に数回、千から二千名規模のコンサートホールで演奏会を行なっています。頻繁に使っているホールのコンサートでは、お客様も迷うことが少ないのですが、この時は、よく使用しているホールがとれず、Kホールで行なう事になりました。それもこのホールは車でも、駅から徒歩でも、迷ってしまいそうな場所だったのです。スマホもない時代ですから、お客様はホールの場所の検索もできません。
 それで、ここの地域に詳しいK君は、ドライバーが一瞬で目に飛び込む絶好の場所に「新堀ギターフェスティバル Kホール⇒」と出してしまったのです。
 K君の実家はこの地域の料理店で、ご家族とも外国籍です。この地域には外国人が多く居住していました。中には問題を起こす人もいて、その偏見もあったかもしれません。
 とどのつまり、私が出頭することになりました。
 映画やTVの刑事ドラマで見た光景…2人組の警官に調書をとられ、私の10本指の指紋がとられ、横線入りの壁をバックに正面と横向きの写真を撮られ、数時間後に自宅待機を条件に保釈されたのです。
 私は学校法人の新堀学園の創立者であり学校長です。学校法人の代表と校長は、前科が付く人は認められず、校長は教員免許を持つ人格円満な人が要請されています。
 もしこの件で、私に前科が付いたならば、辞任せざるを得なくなるかもしれません。
 学校法人の設立は8つの関門をクリアしていないと許可されません。資金も勿論、教育実績、社会貢献がある事も条件です。
 それをクリア出来た人だけが、施設運営の公的認可が下り、教育活動の一環として、数々の有利な条件を与えてもらえます。
 これらがいっぺんに飛びかねない事態となったのです。

 話が少しそれて案内看板設置の話ですが、ヨーロッパの大半の国は、国の文化に寄与するコンサートなどには、そのお知らせは国家施設の利用だけでなく、国の予算で様々な支援がある位なのです。
 この当時の日本では、看板はどんな内容・種類のものでも同じ扱いでした。現在の日本では、それは改善されてきたように思います。

 話を戻します。
 さて、看板の件での厳重な取り締まりが続き、調書は警察署から検察庁に送られ、いよいよ審判が下る日がやって来ました。
 私は警察署でなく検察庁に呼び出されました。ありきたりの確認手続き後に、突然に丁寧な口調で次の言葉が降って来ました。“ところで新堀寛己さんは、国や市から表彰されたりした事は、おありでしょうか?”と…。
 仰天しました!全く予想だにしていなかった質問です。
 しかし、いきなり “50回は超えたでしょうか…” などと言ったら、「こいつはウソつきだ。あのステカン設置も全てコイツの直接の命令で、仕方がなく部下がやったことだ」と、起訴されてしまうのではないかと、真剣に思ってしまいました。
 そこで、音楽による平和活動などで、内外から多くの賞をいただいている事を彼に理解してもらえるように話したところ、部屋中に響く大笑いが起こりました。
 ちなみに私の顧問弁護士が言うには、この警察署は目の前の担当地域であり、いつも出入りしていた庭の様な場所であったとか…。なんで私はすぐに弁護士に相談しなかったのか…。
 結局、私に前科は付きませんでした。
 力になってくれた勲章は、今日もニイボリミュージアムで輝いています。ガチャ達と一緒に…。