【幸福道13】幸福道を探ろう

 良い事の逆は、悪い事。悪い事の逆は、良い事。
 本項は、悪い事も確認して、その逆から幸福道を探ろうというお話です。
 2021年3月21日のテレビニュースで、“日本の自死者は11年ぶりに再び2万人を超えた”との事。特に若い女性が目立つという事は、根に非常に良くないものを感じます。現在コロナ蔓延は世界中ですし、地球全体の人口は爆発的に増の中で、日本は人口減で、女性の自死者増は、現在はもちろん、日本の未来にとっても大問題です。
 幸福道10(ハーモニー誌2020年12月号掲載)にも書きましたが、神奈川新聞(2020年9月4日朝刊)に、ユニセフが先進国と新興国、合わせて38ヵ国に住む子供の幸福度を調査した結果が掲載され、日本の子供の幸福度は38ヵ国中なんと37位、ほぼ最下位でした。子供の幸福感がひどく失われているのです。現在の日本では女性(お母さん)の方が、家庭で子供と接する時間が多いと思いますので、これは女性の自死者増と無関係ではないでしょう。そして、この様な状態を作ってしまった日本の今までの「政治」と「男性」にも問題があります。
 コロナ禍で、日本では特に女性が失業したり、収入が減じた事が多く、生活苦による自死者が増えた事は周知です。報道でも取り上げられているように、日本はG7の中でジェンダー(男女の性区別)格差の問題は最下位であり、世界ではなんと120位という低さで、これも大きく注目されている問題です。
 このように日本は先進国のようでいて、世界の視点から見れば遅れている事がたくさんあります。それでも世界の人々から「コロナが収束したら訪れたい国の№1」と言われるほど、とても優れている面が多いのですが、それが十分に発揮できていない事も残念でなりません。これも保守的で変化を嫌う日本人の性質かもしれませんが、今の時代にこれを見直すべき事が多いのも明らかでしょう。

 緊急事態宣言が本日2021年3月21日までで、22日からは解除という事もあってか、「かながわ音楽コンクール」が開催されるという記事が、神奈川新聞の朝刊になんと3頁にも亘って掲載され、驚くとともに嬉しかったのですが、その中にギターの事は掲載されていませんでした。日本有数の新聞が音楽コンクールに3頁も割く事は極めて珍しく、特にこの時期には、心和む迫力に満ちた訴えで、出演する奏者はもちろん、ご家族の笑顔も胸熱くなるものがありました。
 主としてピアノ部門が大半を占め、続いてヴァイオリンとフルートが取り上げられていました。私自身、音楽家とロータリアンの立場からピアノ部門への寄付を続けて来ました。しかし、300年の歴史を持つピアノですが、その母なる存在で古代メソポタミア時代からの6000年の歴史を持つギターの事が少しも取り上げられない傾向には、何度も申し入れをして来たのですが、未だに改善されていません。
 文化予算が多少増になっても、ギター界には無関係なのです。日本では正当?な音楽(道)は、ピアノ,ヴァイオリンや管楽器で、ギターは未だに本道ではなく、下賤な大衆楽器なのでしょうか。私は50年前、そう言われ続け反発し続けて来ました。そして私はギター界の地位向上に懸命に努力をし、国立音楽大学でギター科の講師として25年間勤務し、ギターオーケストラは国連NGOから表彰されるまでになりましたが…。
 中学校や高校の教壇に上がり、生徒たちに“ピアノが弾ける人は~”と聞くと、数人います。しかし卒業後も、ずっとピアノを弾き続ける人は少ないのではないでしょうか。
 “ギターが家にある人!ギターを弾ける人は~”と聞くと、先生が驚くほど多くの生徒たちが手を上げます。ギターを演奏・愛好する年齢層も広く、新堀ギターには実際に未就学児から80代までの生徒さんが通われていますし、定年退職後に始める人や、親子(ファミリー)やグループで習う人も増加しています。
 昔、私が高校の教師をやっていた時代、ギターに一番縁が薄かったのは音楽大学卒の先生でした。国語や数学、英語の先生でギターが大好きな先生はゾロゾロいて、ギター部の顧問もそのような先生が務めていました。今もそうかもしれませんね。
 皆さんはこの事をどう思いますか。
 その当時(約60年前)の全国教育ギター連盟・ZKG(=現在の日本教育ギター連盟・NKGの前身)の設立・努力によって、今では中学・高校でギターを使った授業が行なわれているので、音大卒の先生でギターが弾けない人は少なくなったとは思いますが…。
 私は米国で、音楽家(芸術学博士)としての学位も取っていますが、日本で教員免許を取得し、中学・高校での教鞭を許可されたのは、語学(英語)の先生としてでないと認めて頂けませんでした。
 このようにギターによる教員免許が取れない事などからも、日本の中学・高校の音楽の先生は、ギターの事が分かる人が少なかったのです。音楽人口、地球上№1のギターの事を知らないのです。楽器の王者ピアノの歴史300年に対し、ギターは6000年の歴史がある事も…。ギター属は、歴史的にもピアノの母であり、この2者のみが音楽の3要素である「リズム」「メロディ」「ハーモニー」を1本、1台の楽器で表わせる事の大切さも…。
 それほど人類史にとっても大事なギターなのに、未だに教員免許を出す音大に、ギターによる免許は存在していないのです。少し改善の兆しは見えているのですが、明治時代の「音楽の授業は、ピアノの伴奏で皆で歌う事」というものが、未だに尾を引きずっています。ですから音大に入学するには先ずピアノが弾けなければ受験すら受けられない現状がずっと続いているのです。
 私も教員免許を(青山学院大学で)取得する時、ギターは弾けたのですが、ピアノを習わざるを得なかったのです。家は貧しく、ピアノは買えなかったので、中央線高円寺駅近くの暗~い薄汚れたひどい環境の貸しピアノ室で凍てつくような冷たい鍵盤で私の体温は奪われつつ、あの面白くないピアノ教則本「バイエル」をやったのです…今だから言ってしまいました。
 世界の人達も日本人も愛しているギター、音楽人口№1、人間の胸に抱かれ続けて6000年の最古最長の歴史を持つギターを、日本の教育の最高学府で本格的に取り上げないだけでなく、ピアノをやった人は教員免許が取れて学校の先生になれるのに、ギターでは教員免許が取得できないのが現状なのです。
 それに現在の日本の教員免許の取得方法は、大学に入学する時に教育学部に入るか教職課程が必要なので、学年が進んでから教師になるという道が閉ざされ、「教員免許が優れた人材を学校現場から遮断している」という思いから、「教員免許」排除を唱える人も出て来ています。

 学校という所は、先人達の汗の結晶を学べる所なのです。ギターを取り上げれば、古代メソポタミア時代からの人類史、文化史、社会史から、政治、宗教(哲学)、科学も広く厚く学べ、大いにためになる授業をすることが出来るのです。実際に私は、高校の英語教師として、授業でギターも使用していました。
 
 2500年前の「論語」の中で既に、人の生き方の締めくくりは「礼楽を知る事」と記されています。ここで言う「楽」とは、音楽そのものをマスターするだけでなく、「礼」を身に付ける事と同義であり、分かりやすく一端を述べると、人として高いレベル(君子)に達するためのマナーの仕上げは、あらゆる場に最適のそれぞれの「楽」の表現を身につけなさいという事なのです。
 これは、「音楽は、人が生きて行く一つ一つの場面で、最も心が喜ぶ表現(礼楽)を出来るようにしなさい」と言っているのです。
 即ち“音楽は人間道=幸福道を表わすものである”という事でもあると思います。

 
 人類は8000年前の古代メソポタミアで初めて人口30万都市をつくり、農耕をすることにより餓死から解放され、ジッグラトという聖塔をつくり、ギター(属)の伴奏で神への感謝の儀式を繰り返した記録が残っています。この時代に、音楽は自分達の癒しの分野をはるかに超えた生きる感謝への「神儀」として欠かせないものとして存在していたのです。そしてギター(属)は神体の一部とさえなっていた重要な楽器であったのです。
 ここで磨かれて行った文化(神儀)は、古代エジプトに継がれ、新王朝時代には、専門職も確立され、これらは固い石壁に書いて記録されたために風化せず、21世紀の私達もそれを確認できるわけです。この文化はイエス・キリスト生誕の前(BC200~350年)のギリシャ=アテネ時代に、この神事にも使われたギター属は「キターラ」の名で知られ、身分ある女性の花嫁の第一条件に「キターラを弾ける事」が挙げられる程になったと、大流行した事が伝えられています。やがて、大ローマ時代に親しまれたギター属は、キリスト教と共に世界に広がって行きました。

 人と人が対面し、相手の発する音の流れから対位法を完成した大バッハは、家庭や音楽会、アンサンブルでは、ギター系のリュートを第2パートで弾き、皆をリードした事が知られています。そもそも50人もの音楽プロを輩出したバッハ家の初代は、ギター弾きであったとも言われています。
 モーツァルトは、幼い頃よく聴いた伴奏の大半はギターのアルペジオの音型で、彼の作品のディベルティメントやセレナーデのほとんどが、ギターのp(親指)と、i(人差し指)で弾く音符が使われています。このサウンドは人の脳に爽やかに響き、最高のホルモンを生み、ミュージックセラピーにも活用される事は周知ですが、この快感こそ人を幸せに包む、私の言う「幸福感」の基で、そこへ導く道を「幸福道」と述べているのです。
 更に幸福道を歩み続けると、健康長寿となり、ひいては平和心の育みとなり、人生の極めて素晴らしいゴールを迎えられるのです。