【幸福道12】セゴビアトーンこそ幸せを呼ぶ2

 心を癒し楽しませてくれる音楽。以前、音楽は神様に捧げるものとして発展していったというお話をしました。日本の雅楽もそうですし、そして西洋の音楽(ドレミファ)はキリスト教=教会によって育まれ発展してきました。
 17~18世紀、バロック音楽時代の作曲者としてアントニオ・ヴィヴァルディ(1678年誕生-1741年没)、ヨハン・セバスチャン・バッハ(1685-1750)、ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル(1685-1759)があげられます。ヴィヴァルディは「赤毛の司祭」の名でも知られ、バッハは教会のオルガニストとしても有名であり、両名とも神学校で学び、多くの宗教音楽を書いたように、教会と密接に関わっていました。その中でもバッハは西洋音楽の基礎を構築したと言えます。
 ヘンデルは宮廷にも仕えましたが、教会のオルガニストでもありました。この時代の音楽家・作曲者は教会の下で、音楽活動を続けたと言えます。
 その後18~19世紀、古典派を代表する作曲家では、フランツ・ヨーゼフ・ハイドン(1732-1809)、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756-1791)、ルードヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770-1827)、フランツ・シューベルト(1797-1828)などがあげられます。
 ハイドン、モーツァルト、シューベルトは教会の支援や縁もあった音楽家でした。

 しかし、古典派形式の集大成であり、ロマン派の先駆けと言われるベートーヴェンは、王侯貴族、そして一般(大衆)からの依頼も受け、宗教音楽に囚われることなく活動するようになります。
 ベートーヴェンは教会や王侯貴族から音楽家として自立し、後世に残した音楽のグローバル化への偉業はとても多いです。メトロノームの活用,速度の表示,楽曲の大規模化(合奏の編成が大規模に),ピアノの構造強化と音域の拡張,演奏不可能の挑戦,騒音の導入,他。そして、音楽は、限られた人(教会,王侯貴族)から徐々に大衆へと広がって行きました。
 ワルツの父と言われるヨハン・シュトラウス1世(1804-1849)の時代、1812年にはクラシック音楽関係者による団体=ウィーン楽友協会が設立されました。これは音楽家の教会・王侯貴族からの自立も示していると言えます。そしてワルツ王=シュトラウス2世(1825-1899)の時代、1831年に庶民も大いに音楽を楽しめるウィーン楽友協会ホールが完成し、更に大衆に音楽が広がっていきました。
 私は、昭和9年=1934年に生まれました。大衆に心の糧になる音楽を広めたシュトラウスが大好きで、その方向を目指し音楽活動をしてきました。
 そして、シュトラウス2世が指揮でステージに立ったウィーン楽友協会・大ホールで、私も新堀ギター音楽院&ギターオーケストラ設立50周年(2007年)を記念して指揮をすることが叶いました。

 6000年の歴史を持つギター(属)は、300年前にはバッハ家初代のギター系リュート奏者にも育まれ、やがてギリシャから船で運ばれて来たギター文化をモーツァルト(生地のザルツブルクはザルツァッハ川があり貿易が盛んでした)は受け、継承されて行きました。例えばモーツァルトの楽曲のアルペジオはギターで奏でるアルペジオの影響を大いに受けています。
 ベートーヴェン(ドイツのボンで生まれ、ウィーンへ移動)は彼の親友2人の女性ギタリストの演奏を聴いて「ギターは小さなオーケストラだ」の名言を残し、同じ町(ウィーン)のシューベルトは歌曲の大半をギターで作曲し、生涯で使用した(弾きつぶした)ギターは7本だったとか。又、ベートーヴェンが指揮したオーケストラの第2パートのトップはマウロ・ジュリアーニ(1781-1829)というギタリストで、ジュリアーニ作曲の30番のギターコンチェルト(イ長調)は、ベートーヴェンの構築美を見事に継承している傑作です。
 天才ギタリスト、フランシスコ・ターレガ(1852-1909)は、その歴史を継ぎベートーヴェンが成した構成式をギターで成熟させ、ミゲル・リョベート(1878-1938)を経て、やがてクラシックギターの巨匠(マエストロ)=アンドレス・セゴビア(1893-1987)へとつなげて行きました。

 A.セゴビアは、ギタリスト(演奏)の巨匠という枠を超えて、ギターの音楽的地位をクラシカルに(楽器・弦の改良,作品の開発,録音等)高めたばかりでなく、20世紀の音楽界全体を通して最も代表的な偉大な音楽家であると言えます。世界中の一流音楽家達もセゴビアを絶賛しています。

 特に次の2点が素晴らしいです。
 第1は、前述の“この世のものとは思えない程の美しい音を出せる人”。
 第2は“最高の音楽表現が出来る人”であったという点です。
 では今項は、セゴビアの神業に値するその表現力(音楽性)について、もう少し深く入ってみたいと思います。

 それは“オールスタンディングオベーション=聴衆が総立ちしての拍手”がとれる表現に通じます。
 個人やマニアなど限られた人に強く響く感動も芸術の世界には多々ありますが、最高の感動はやはり、大半の人達が共鳴して感涙し合って、心が通じ合っての聴衆総立ちの拍手に勝るものは無いでしょう。
 A.セゴビアの音楽表現は、正にこのレベルに達したものです。
 セゴビアは1929年(昭和4年)に初来日、そして戦後、1959年(昭和34年)、1980年、1982年の計4度の来日が記録されています。
 私は新堀ギター音楽院を創立(1957年・昭和32年)した2年目、1959年に初めてセゴビアの生演奏に触れました。東京の九段会館だったと思います。そして1980年代は日比谷公会堂で。
 1959年当時、私は、阿部保夫先生(セゴビアに直接師事し、日本で唯一セゴビア奏法をマスターしたギタリストと言われる)の門下生でした。そして、東中野の日本閣でのレセプションでは、セゴビアの右指のタッチが目の前に見える席を頂け、その後、大阪をはじめセゴビアの日本各地の公演について回り勉強できました。私はマエストロ・セゴビアの演奏に何度も触れる事が出来たのです。
 特に初めてセゴビアの生の演奏に触れた時は、ラストの曲が終わった瞬間は大感動のあまり五体はフリーズし、絶句した後、爆発的に立ち上がりました。力いっぱいの拍手を送った両手の熱い痛みは帰路の中央線内でも続きました。

 後年(1970年)、マドリッドのセゴビア先生のご自宅への訪問が叶った時、先生は私達が演奏したギター合奏のレコードを聴いてくださり、「孫弟子の音だ」とおっしゃり、新設する校舎のホールにセゴビアの名を冠する事を許可頂けました。この時の感動は生涯忘れられません。(かつて東京・阿佐ヶ谷のセゴビアホールにあったセゴビア先生の文が刻まれたレリーフは、現在、藤沢の新堀学園ライブ館2階のセゴビアスタジオでご覧になれます。)
 “この世のものとは思えない程の美しい音”とは、美しい音がポツンとそこに存在する等というレベルを超えて、“多種多様な美しい音が、神業的にコントロールされて表現される”という事でしょうか。
 “神業的コントロール”とは“もはやそれ以上の組み合わせは考えられない技・表現”の事です。神が人に共鳴・共感を起こす仕組みを創ったとすると、そこに最大最高に響きまくる表現の事を言うのだと思います。
 音楽専門職の立場から言うと、もうこれ以上はない、という「音楽的呼吸法」での表現の事です。そしてそれは全ての人々へ“生きている幸せを彷彿とさせるもの”なのです。

 優れた音楽の先生、最高の指揮者ほど、音楽を美しく丁寧に歌って指導します。
 楽曲も楽器も、“人”が作ったものです。人は皆、呼吸しています。芸術を生み出した熱い想いは、その呼吸の上に成り立っているのです。
 最高の音楽表現はそれに始まり、それに終わるとも言えます。
 ですから、どんな譜面も、歌ってみて曲の心を感知する事が最も大切なのです。必ず聴衆と共鳴し合うものがあります。まずそれを優先しましょう。始めは自分の好みや個性は棚に上げておく事がコツです。
 名曲・名演奏は無理なく歌えるものが多く、全身で指揮をしてみると、最高の表現(呼吸法)程、身体も自然に動かせて深い楽しさが増して行きます。
 自然に歌う事が出来る呼吸法こそ、最高の音楽表現法を生むカギです。
 擦弦(さつげん=弦をこする)楽器のバイオリンは人間の声の様に、音をつなげて演奏出来ます。しかし、弦を弾いて音を出す=撥弦(はつげん)楽器のギターは、単音(1音)ではバイオリンのように音をつなげる事は出来ないので、そのような表現をしたい時はトレモロ奏法で奏で、あたかも音が伸びているかのように表現します。これはギターの独奏では、右指p,a,m,i (親指,薬指,中指,人差し指)で素早く打弦する奏法です。
 新堀式(Nメソード)のギター合奏のトレモロでは、これとは違う、1本の指を弦上で素早く上下させる奏法です。これを合奏で奏でると歌のように表現できるのです。

 クラシックギターのトレモロ奏法での演奏と言えば、ターレガが作曲した「アルハンブラ宮殿の想い出」が有名です。その話に触れたいと思います。
 イベリア半島の西ゴート王国(ゲルマン系のキリスト教の国)を西暦711年、イスラム教徒のムーア人(アラビア系)が侵攻し、以後700年も宗教も文化も共有した後、1492年にアルハンブラ(城塞都市)があるグラナダが、カソリック教徒により陥落し、多くの悲しい別れが起こりました。
 元々、イベリア半島にはギリシャ時代から、クラシカルなギターの前身のビウェラがありましたが、ムーア人が肩にかついで荒々しく奏でたリュート系と融合し、フラメンコ系の固有の音楽が作られて行きました。それに地続きのポルトガルのファド(ポルトガルの民族歌謡)とも影響し合い、激しくもエレジー(哀愁)色の濃いギター属固有の音楽が出来て行きました。悲しみ・哀愁をギター属のトレモロで表わす音楽です。
 これは、大抵は複数の人数(アンサンブル)で演奏されたようです。この音を現地の人々は長年聞いていたわけです。これはターレガが作曲したギター独奏でのトレモロ奏法とは違う方法で奏でられていました。だからと言って、スペインの大家、ギター界の父 フランシスコ・ターレガ=地元人が、あのグラナダの渋い赤い城(アルハンブラとはアラビア語の赤い城の意味を元にしています)を描いたこの名曲の価値は変わりません。

 そして次は、1990年にグラナダ音楽祭に行った人が、グラナダの名所・観光地でもあるアルハンブラ宮殿の売店で買って来てくれた仰天プレゼントの話です。
 「LA MUSIKA DE GRANADA (グラナダの音楽)」という題名のカセットテープで、そこにはグラナダの様々な音楽、オケとピアノで4曲とギターの演奏4曲、計8曲が収録されていました。
 そして、なんとカセットテープの顔とも言えるA面の1曲目が、「アルハンブラ宮殿の想い出」で、演奏者がNIIBORI GUITAR ENSEMBLE(新堀ギターアンサンブル=NE)となっているではありませんか。更にB面の2曲目もNEによる「愛のロマンス(禁じられた遊び)」でした。
 ギター演奏の4曲中2曲が、NE=日本人の演奏が採用されていたのです。これは私がギター合奏に編曲し、指揮したもので、NEが1978年にスペインで現地録音したレコードが元になっていました。
 どうして、新堀サウンド=ギター合奏が選ばれたと思いますか?
 それは、私たちのギター合奏の方がギター独奏よりも、この地で長年歴史を奏でられて来たラウーやバウンドリア等による合奏(トリオ等)の音と、各種音域ギターを使用したNE(ギター合奏)のサウンドと通じるものがあり、グラナダの音楽として紹介するのに相応しいと判断されたからだと私は思います。(特にNEのトレモロは現地の心を表わせていたとの事です。)
 もしかすると単純に、NEのギター合奏が素晴らしかったからという理由かもしれませんが…。
 このカセットテープと、NEの現地(スペイン)録音での30センチLPは、私達の最高の宝物となっています。

 2007年11月17日 ミュンヘン・シティホール「ゲメリング」、11月19日 ウィーン楽友協会「黄金ホール」で、新堀ギターフィルハーモニーグランドオーケストラ(新堀寛己指揮:130人編成)が、オールスタンディングオベーションの歴史的成功を収めました。
 終演後の打ち上げに、現地で最も辛口な演奏評をするというバーバラ(=バルバラ・ポラシェック)さんがいらして、“ブラボーブラボーと一番大きく叫んでいたのは私です”と挨拶されました。そして領事館の人達が私を強くハグし、他の名士達もこの感動の光景を詳しく解説してくれました。このシーンは報道もされ、DVDにも記録されました。これも掛け替えのない歴史に残る宝物です。
 バーバラさんは、A.セゴビアの高弟であったとの事。故に20世紀の最高の音楽表現法を彼女は知っていたのです。それをベースに辛口の評論をしていたのでしょう。
 そのバーバラさんが、私達の演奏表現に“ブラボー”と叫んだという事は、セゴビアを崇拝し、研鑽を積んで来た私達は、間違っていなかったと確信出来たのです。
 その後も、新堀式のギターオーケストラ(Nオケ)とアンサンブル(NE,DreamersⅢ,Danrok,Twinkle)は、各国(欧米,アジア)で賞賛と聴衆総立ちの拍手を受け続け、その表現法を学んだ国際新堀芸術学院の学生オケもドイツ各地の大舞台で、スタンディングオベーションの歴史を重ねているのです。
 各国から、私達(ギターオーケストラを含む)への名誉ある授賞も90回を超えました。そして現在、ギターオーケストラによる幸福道づくりは、私の孫の時代に入りつつあります。

 
 最新情報が驚く速さで発表されている昨今ですが、そのような時こそ、このように歴史を振り返り、セゴビア奏法を大切にして、それを培養しているNメソードの研究を更に深めて行けたら素晴らしいと思います。