【幸福道18】感動いっぱいの演奏力 2

 芸能・音楽表現では、“間(ま)”が非常に重要です。
 音が美しく、早弾きもでき、衣装も完璧でイケメン・美人でも、この“間”が操れないアーティストは、かなり早期に飽きられるでしょう。逆に少々不愛想でも“間のコントロール”が出来る奏者の演奏には引きつけられます。

 聴衆を引きつけられる奏者は、その曲の“たましい”を感知していて、それを表現するための呼吸法=リズムと間,アクションが出来ています。
 この絶妙な“間”までが出来た演奏は、聴衆の爆発的拍手、オールスタンディングオベーションの感動を得る事が多いです。それが実現したポーランド公演の話をしましょう。

 私は新堀メソード(ギターオーケストラ)及び音楽学校の創設者です。
 夢は自分のメソードを高め、それを伝え、優れた奏者をたくさん育てて、共に音楽の都、ヨーロッパの一流ホールで成功する事と、それを継承してくれる人を育てる事です。
 私は大学卒業後、高校教師をしながら新堀ギター音楽院を創設しました。ギターの生徒さんゼロからのスタートです。

 紆余曲折ありましたが、やがて音楽院の生徒さんが増し、高校教師は辞めて音楽院に専念する事が出来ました。お弟子さんたち(生徒さんや講師たち)との演奏も、ギター二重奏→三重奏→四重奏と編成を増すことが出来、指揮者が必要なギター合奏団(7名以上)が結成でき、それが更に発展して各種音域ギターを使用したギター合奏となり、創立20周年では日本武道館で300名編成のギター合奏を実現。1974年から、8~20名編成のギター合奏で海外公演も行なえるようになり、海外の方からは“ギターオーケストラ”と呼ばれるまでになりました。1992年の中国公演からは大編成のギターオーケストラが海外で演奏するようになります。
 そして2007年、私の夢の一つが実現しました。新堀メソードを学んでくれた130人の優れた奏者によるギターオーケストラの演奏が、ウィーンフィルの本拠地、ウィーン楽友協会(ムジークフェライン)大ホールで、スタンディングオベーションを頂く事が出来たのです。
 もう一つの夢は、このメソードを私が亡き後も継承出来るかという事。
 1992年の中国(北京, 南京)公演までは、私が全曲指揮をしましたが、1996年のオーストラリア(シドニー, メルボルン)公演からは、数曲の指揮を愛弟子に託しました。

 そして2002年、私が同行せず、全曲の指揮を愛弟子に託し、オールスタンディングオベーションの成功を収める海外公演がついに実現したのです。
 それは2002年5月20日のポーランド公演です。指揮は高弟・小山清、演奏はNE(新堀ギターアンサンブル)。特に圧巻は、ポーランドの作曲家、ショパンのワルツOp.64-2の演奏。これは途方もない大冒険、大難関のテーマを見事やってのけた歴史に残る名演奏でした。

 ショパンのワルツOp.64-2は、「ピアノの独奏以外では、この曲の表現は出来ない」 と言われる魔力的魅力を持った曲です。まず、アゴーギク(速度増減)が必須、ロマン派のピアノ独奏曲をギターアンサンブルで一糸乱れずに合わせる事が出来るのか…。多くの人が、ギターアンサンブルで挑むのは無謀、無理だと思うでしょう。
 しかし、ピアノの母であるギターとは音質の共通点(減衰音)があります。そして、指で直接、弦に触れて演奏するギターのアンサンブルならば、ピアノよりいっそう繊細で聴衆が涙する演奏表現が出来るのではないかと、私は思ってしまったのです。
 この曲に挑戦したのは、私達グループが“ギター合奏の飽くなき可能性”を特に追求していた時期で、この曲をギターアンサンブルで演奏、指揮する事は私にとってもとてつもない挑戦でした。
 ショパンが生きた時代、死病であった結核になってしまったショパンのこの曲は、あまりにも美しく悲しく、生(希望)と死(絶望)に揺れ動く感情が感じられます。それらをどうやってギターアンサンブルで表現するかを、考えれば考えるほど脳がフリーズして、私は天井の木目を凝視する状態に…。繰り返されるモチーフは、一度たりと同じに演奏してはならないと感じ、それを私は何度も何度も歌いながら指揮して奏者に伝えました。演奏メンバーは必死に付いて来てくれましたが、なかなか人前に出せる様に仕上がりません。表現できない、合わせられない不甲斐なさに涙を流す奏者も…挫折しそうな日々が続きました。

 しかし、ついにこの難関を突破する事が出来、何度でもそれを再現できるようになりました。ドリマーズⅠ世(8名)が初挑戦し、後にNE(1975年結成16名編成)がそれを受け継ぎ、奏者の人数が増えて合わせる難度が増しましたが、その演奏は「ピアノを超える表現!」と音楽の専門家からも絶賛を頂けました。その時の演奏メンバー(NE)に小山清がいました。彼は専門校(日本ギター音楽学校)の時代からの愛弟子で、ギターのレッスン時に、思い通りに演奏できない悔しさからか、彼が流した大粒の涙が忘れられません。
 演奏も指導法も指揮も、一歩ずつ諦めることなく、あらゆることを吸収してくれた息子の様な存在です。やがて彼は、音楽家として多くの経験を重ね、私の分身・後継者とも言える指揮者となり、私は海外公演のタクトを彼に委ねました。
 その結果は…彼から大成功であったとの一報、そして帰国後、この公演の映像が届きました。
 バルト海に近いグリフィーツェでの国際ギターフェスティバルでのコンサートで、近隣諸国のギター・音楽関係者も集い、満席(1500席)となった聖マリア教会での演奏でした。

 ショパンの母国でショパンの代表曲を、それもピアノではなくギターアンサンブルで演奏する…。アーティスト達はサービス精神と敬意から、訪れた国の音楽を演奏する事はありますが…。この時の小山氏とNEはポーランドの聴衆を前にしての真剣勝負であったと思います。
 ラストに、ショパンのワルツは演奏されたのですが、それまでにNEは好演を続け会場は熱して行きました。そしてショパンのワルツが始まると、人々は第一音とそれに続く音の“間”の絶妙な表現から、場内は水を打ったような静けさに入りました。まるで満場の聴衆の呼吸さえ感じられないような静けさで、そこにギターアンサンブルの音だけが聖堂に響き、祈りを捧げているかのようです。音はショパンの心を綴って行き、最後の音は、ショパンさんをそっといたわる様に、優しく温かい音が天に昇って行きました。
 会場は最後の音を見守るかの様な沈黙があり、数秒後、聴衆の意識が戻ったかのように、“バァーン”と爆発的な歓声を伴うスタンディングオベーションが起こったのです。“聴衆が一瞬で(立ち上がり)壁になった”と小山氏は表現していました。
 この凄さ、感動は文では表わしきれません。映像がありますので、本館ミュージアムやNiibori TVの放映で、お楽しみ頂ければと思います。

 また、ギターアンサンブルの感動を呼ぶ演奏法として、トレモロ奏があげられます。
 ギターのトレモロ奏法と言えば 「アルハンブラ宮殿の想い出」が有名です。フランシスコ・ターレガが、美しくも悲しい物語を持つグラナダの城、アルハンブラ宮殿を描いた名曲です。
 この曲の歴史背景やトレモロ奏法については、「幸福道12 セゴビアトーンこそ幸せを呼ぶ2」に書きましたので、そこは割愛します。

 私がギター合奏用に編曲し、NEが演奏した「アルハンブラ宮殿の想い出」は、国内外で大変に好評を得て、長年に亘り演奏し続けられました。
 この曲を演奏する時は、低音=コントラバスギターとギタロン以外は、全てホセ・ラミレスのプライムギターを使用しました。クラシックギターファンが憧れる高級手工ギターで、NEのメンバー14名がラミレスで演奏するということも話題になりました。スペイン(ターレガ)の曲をスペインの老舗工房のギターで奏でる…ラミレスギターの甘くふくよかな音色はこの曲にピタリと合いました。落ち着いた響きのプライムギター、それもメーカーが統一されたことにより、一層サウンドが一体となったのです。この編成で奏でられた「アルハンブラ~」のトレモロのサウンドに、多くの聴衆が涙しました。その情景が今でも思い出されます。

 ギターアンサンブルによるトレモロの表現は、悲しみの表現だけではなく、深い愛、熱い想いも表現し、人々に大きな幸福感をもたらすことも出来ます。
 1995年5月、常夏のハワイ・ホノルルで初のNE公演(20名の特別編成)が実現しました。公演前日にラジオ放送でPR、当日の午前中にクアキニ病院(日系人病院)老人ホームでのボランティアコンサートなど、下地を整えてからのコンサート開演となりました。

 会場はハワイ大学のオービス音楽堂。ミス・ホノルルの司会で進行。NEのテーマ曲「バロック風・春が来た」で、はじけるようにスタート!次々に演奏される各種音域ギターのコンチェルトに熱い拍手が続き、プログラム最後の曲を終えて、拍手が鳴りやみません。アンコールのリクエストに、マイクを渡された私の声も弾みます。
 「本当に、本当にありがとうございます!私達は皆さんの愛に包まれ、平和心が湧き、幸福感いっぱいに満たされました。それではお別れに、この曲を贈ります。ハワイアン・ウェディング・ソング!」
 ハワイで大変に知られている曲という事で、小林秀明氏がNE用に編曲してくれたものです。各種音域ギターにウクレレを加えた編成で、歌(メロディー)の部分にトレモロが使われ、最後はコーラスも加わり盛り上げます。私はこの曲の指揮に、愛を表現するフラダンスのハンドモーションも取り入れました。
 トレモロで奏でるので充分にテヌートがかけられ、クライマックスもこれ以上ないほど音を引っ張る事が叶いました。ラストは全員の呼吸を限界までたっぷりと、そして胸が張り裂けんばかりに、“オ~マイ~ハア~~ト”と目いっぱいやりました。

 “ワォ~ウァ~”熱い拍手の中、次々に思わず立ち上がる聴衆…割れんばかりの拍手が渦のように押し寄せて来ました。メンバーの目にも涙。心と心が通じあった瞬間!感動が、幸福感が、ホールいっぱいに広がりました。

追記:現在、ウクライナの多くの人々が、隣国ポーランドに避難しております。一日も早くウクライナに、世界に平和が戻る事を祈っています。新堀寛己