【幸福道8】高齢者の特権

 「高齢者の特権」、それは“人生の達人”が周りに増えるという事です。その達人たちと、時には失敗談で花が咲きます。成功談より失敗談の方が多いかもしれません。それは当然です。多くの失敗の山の上に、成功は築かれていくのですから。
 当然ですが、失敗して、そこであきらめてしまう人は成功まで到達できません。成功者は成功するまであきらめないから成功するとも言えます。失敗は成功に辿り着く道中です。幸福道の考え方だと、そのようになります。
 私が幸福道の最初に述べた「コップ半分の水」の話を思い出してださい。何事も悪い方に考えてしまう人は、「水が、たったの半分しか残っていない!」と、その先の暗い事ばかりを考えてしまうのです。まだ水が半分ある事、そして水が飲めて喉の渇きが癒された時の「幸せ感」も忘れてしまっているのです。
 喉が潤った時の感謝を忘れてはなりません。感謝の気持ちが幸福をもたらします。
 また、その事に気付いた人は、不幸ばかりを追って嘆いている人に、その事を話してあげてはいかがでしょうか。しかし、暗闇に落ちて心を閉ざしてしまった人には言葉より、静かに音楽(ギター)で語り掛ける方が良いかとは思います…。そこまでは行っていない人たちに、経験が豊富な高齢者は上手にお話しする事ができるでしょう。
 若者達からすれば、高齢者がお節介にアドバイスしてくることは、うっとうしい事かもしれませんが、その話には貴方を幸福に導くヒントが含まれている事が多いのです。まずは耳を傾けてみましょう。
 中国では、長老が亡くなる事は、大きな図書館が無くなくなるのと同じだと言うそうです。徳と博識を積み慈愛に満ちた高齢者は非常に尊いものです。

 また、高齢者自身は、家族、身近な人々、周りの人々、後進達に慕われ尊敬される人徳を積めるように努力する事を忘れないで欲しいです。人生の学びに終わりはありません。
 思想(哲学)も、宗教も政治も芸術も科学も、個々にはどんなに深めても、自分の専門の物差しばかりで若者に意見しすぎるのは控えるべきでしょう。アドバイスはあくまでも相手の事を想ってであって、自分の自慢話になってしまってはなりません。ついつい高齢者が陥ってしまうことではありますが…。

 自慢話になってしまうかもしれませんが(笑)、私はPh.D.の学位・称号を頂いています。これは、Doctor of Philosphy(ドクター・オブ・フィロソフィー)=哲学博士の事です。世界には様々な分野の博士号がありますが、Ph.D.は最高位とされています。なぜならば哲学博士の学位は、各分野を超えて「全人類を幸福に導く人」に授けるものとされているからです。
 1995年、私はローマ時代に決められたという配色のガウンを着て、大学総長で国連の役員でもあったウォーレン・ウォーカー博士(神父)からこの学位を授与されました。以降、私は毎年、国際新堀芸術学院の卒業式には、この古来からの人類の平和・幸福を祈るガウンを着て式に臨んでいます。なぜならば、卒業生達に全人類を平和に導く旗手となって欲しいという願いを込めているからです。
 余談ですが、橋下氏が大阪市長として人事を固めて行く時に“もう少しPh.D.の人を集められないか~”と言っているのを聞き、この人は国際人だなと思いました。
 欧米では、その組織に、どこの大学を出たかよりも、どの様な学位を持った人が何人いるかの方がテーマになります。学校名よりも、その人がどの様な分野の専門家なのかが重視されるのです。
 また私は、海外でもギターオーケストラを通した平和活動を続けて来たことから、「グランド・クロス(爵位勲章)」を2007年に聖テオトニー勳爵士団より授与され、2013年にはSir.(サー=ナイト=士爵)の称号を英国王室(ウエストミンスター王家)から授かりました(伝達文には、「これは代々永く記録され、これを明記した土地を授ける」と記されています)。それ程、ギターオーケストラによる平和を祈念したコンサートが、「人道・幸福道を敷いたもの」として高く評価された事が嬉しかったです。

 ここまで到達するには、「新堀ギター音楽院の歴史」が大きく関わっています。ここであらためて紹介したいと思います。
 「新堀ギター音楽院」は、今年2020年4月17日(私の誕生日でもあります)で、創立63年目に入りました。私は昭和32年(1957年)3月に青山学院大学文学部教育学科を卒業し、在学中から研究を続けて来た全国の学校内でやれる「ギター合奏」のメソード(指導法)の発表(全音楽譜出版社から)と同時に、新堀ギター音楽院を創立したのです。

 青山学院は明治初期、宣教師たちによって開かれたキリスト教信仰に基づく教育と、欧米で培われた人間形成のためのリベラルアーツ教育を柱に、「すべての人と社会にどのように貢献できるか」を考え、実践し続けてきた最高学府です。
 ですから、私は教育学が専門でしたが、英米文学部や神学部の多彩な講義にも出席して学ぶ事が出来ました。当時は、毎日礼拝があり、卒業までに数百曲の讃美歌も学べ、また日本で最初・最高のパイプオルガニストである奥田耕天教授からも直接4年間、ヘンデルのメサイヤを中心にクラシックを系統的に学べ、特に宗教音楽の作曲法は徹底してご指導頂きました。また卒業後の生き方についてもアドバイスを頂き、私の結婚式も学院のチャペルでやって頂けました。
 更に、戦後の代表的な、米国オーラルイングリッシュをベースにジャズはもちろん、カントリーの分野まで学べ、学内のPS(プラット・スプロールズ)講堂で、戦後の歴史を創った名手達の誕生にも立ち会え、それらをつぶさに体験できた事は、後の国際新堀芸術学院の国際ステージへ向かう幅広い教育指導法づくりにも決定的な意味を持ちました。2007年、ウィーンフィルの本拠“楽友協会黄金ホール”での大きな成功を生むノウハウの芽を学べた青山学院に、今も感謝しております。
 この様に多くを学べましたが、終戦(1945年)から12年目、4畳半バラック小屋での「新堀ギター音楽院」のスタートは困難を極めました。第一に、掘っ建て小屋に〇〇音楽院という名は大げさ過ぎると、先輩先生方から注意を受けました。当時、教室名は「〇〇ギター研究所, 研究室, 教室, 教授所」または「地名」をつけることが大半でした。
 私はこの名称を建物の大きさで付けたのではありません。“ギター”という“クラシック”に限定した教室やギター独奏中心ではなく、音楽全般を歴史が最も長いギターの独奏・重奏・合奏の広い分野から学べる総合音楽学舎の意味で「音楽院」と名付けたのです。
 現在、新堀ギター音楽院の他、専門学校(高等課程・専門課程)も経営していますが、校名は「国際新堀芸術学院」で、ギターの名は入れていません。ギター以外の楽器も学べる総合的な音楽専門学校で、ギターもクラシックとエレキ、ジャンルの壁なく、高質な音楽(国際的な幸せ感づくり)を目指しています。
 日本全国の小・中・高校での授業もできる「ギター合奏法」を築く事が出来、新堀ギターオーケストラは、国内は元より、現在では西洋音楽の本場・欧米で、総立ち(オールスタンディングオベーション)を頂けるレベルにまでなりました。しかし、ギター合奏を始めた頃、先輩の先生方と出席したギター専門誌の為の座談会で、「ギター合奏は邪道、教育界に不要」と言われてしまいました。
 これに奮起して、私は女性合奏団を率いて、長期の英国公演に旅立つわけですが…。結果は、ロンドンでの成功がBBCから全ヨーロッパに放映され、サンデータイムズ紙で「日本人の発明(アルトギター, バスギターから成る合奏)ロンドンで成功!」の記事が出て、日本国内のギター合奏を支持する人々にも明るい光が差し、ギター合奏が日本全国に一層広まっていく切っ掛けとなりました。

 
 現在の日本では、ギターの独奏も合奏も自在に楽しめる様になった事を、大変に嬉しく思います。
 そして今、私が望んでいる事は、エレキギターをロック等の分野に限定して欲しくないという事です。エレキギターの現代にマッチした限りない可能性・芸術性に、ぜひ注目して頂きたいのです。
 特に、アルトエレキギターの音色の美しさは抜群です。またチェンバロギターやアルトエレキギターの発する倍音は、免疫力を非常に高めると言われている脳の血液の「ゆらぎ」も生みだしている可能性が高く、今後大いに注目して欲しい事です。
 ギター合奏は、「楽しい」の先の脳を含めた「健康長寿」に直結している事も確信しています。そしてこの健康長寿への道こそ、幸福道の真髄なのです。