【90歳夢道13】「卒寿」で見えて来た人間脳

 「卒寿」の旧漢字は「卆壽」。ソツの字が上下で九十なので90歳のお祝いです。もともとは数え年(生まれた年を1歳とする)でお祝いするのが習わしでしたが、現在は満年齢でお祝いする人が多くなったそうです。私は1934年(昭和9年)生まれですから、以前でしたら2023年に卒寿のお祝いをしていたのだと思います。いずれにしろ、健康に長生きできていることに感謝しています。
 
 さて、90歳まで生きられると、長年人生を体験し、自分の子供時代と現在を比較したりすることもできます。それで感じたこと、分かったことがあります。その中から今回は、左脳・右脳の働きにも触れてみたいと思います。現代の医学・科学では、厳密に言えば左脳・右脳と脳の働きは分けられないそうですが、話をシンプルにするために、あえて分けてお話しします。

 左脳がつかさどるのは話す・書く・計算する・分析するなどで、左脳が優位な人は科学的な思考が得意。右脳がつかさどるのは、ひらめきやイメージ・芸術性・創造性などで、右脳が優位な人は直感的にものごとを受け入れるのが得意。ということで、右脳が芸術脳、左脳が数学(理数系)脳だと言われてきました。

 第二次世界大戦後、日本は経済の立て直しを目指し、電力・鉄鋼などを主要産業に資源と資本を集中させ荒廃から立ち直り、1950年代から1960年代にかけて工業化が進みました。その後、「重工業」中心からハイテク産業・電子産業に変化して行き、「物づくり日本!」の製品が世界中で人気を獲得したのです。このための豊かな労働力=左脳の働きが優位な人が求められていたと言えるでしょう。 
 そして日本は経済大国と言われるまでになることができたのです。(1968年にGDP総額は世界ランキング第2位となり約50年間継続された。2010年~2023年は第3位。現在は第4位。また2023年の一人あたりの名目GDPは世界21位。)
 
 しかし人間の幸福道からすると、だんだんと「幸福感」からは遠のいて行ってしまったようです。(日本の幸福度ランキングは2022年では世界146カ国中54位。2023年は137カ国中47位にと8年ぶりに40位代に回復しましたが…)
 なんと働き過ぎの過労死も明るみとなり、2019年には「働き方改革」も唱えられるようになりました。

 日本が変化しようとしているのは確かでしょう。それは教育面にも言えます。
 文部科学省が公表した2022年度の小中学校における不登校児童生徒数は29万9048人でした(2023年10月17日)。
 世界には教育を受けられない子供たちが大勢います。しかし、日本が恵まれた施設で教育を受けられる環境でも、学校に行きたくない子供たちが、これだけいるのです。
 そこには潜在的な問題もあると思いますが、日本の学校制度も見直しが必要なのではないでしょうか。
 
 不登校児は学校に行きたくない、または行くことができないのです。その原因は…。
 先生があまり好きになれないということもあるでしょう。
 もしもテストの点数・成績だけで、生徒の優劣を決めるような先生でしたら(偏差値至上主義ではありがちです)、成績があまりよくない生徒は、学校に行きたくなくなるでしょう。
 逆に、学校にとても魅力的な先生がいたら、学校に行きたくなるのではないでしょうか。例えば、音楽の先生が生徒たちにとって、身近に感じられる素敵な先生だったら…。

 まだ、中学・高校で音楽が選択科目になっていない時代、音楽の授業はつまらなく感じていた生徒さんもいたという話を聞きました。私が国立音楽大学で講師をしていた時代(1964年~1990年代)、中学・高校の音楽の先生が演奏するのはピアノで、ギターは弾けない先生が多かったのです。ギターは音楽大学の必修ではありませんし(ギター科がない音大もありました)、教員免許取得にはピアノが弾けなければならないからです。
 
 また、音楽の先生でギターを弾ける人がいたとしても、ギターを使用して中学・高校の一斉授業をこなせる指導法は、大抵の音大では教えていないので、知らない人がほとんどでした(国立音大では私が指導していました)。中学・高校にギターが導入され、教科書に掲載されるようになっても先生がギターを弾けないのです。そこで私は全国の学校の先生向けにギターの指導法の講習をするようになりました。これが現在のNKG(日本教育ギター連盟)の始まりとも言えます。


 話を戻します。
 もしもギターを使っての指導法を身につけた先生がギターを抱えて
 “さぁみんな、一緒に歌おう!”
と言ったら、教室内は一瞬でどうなると思いますか?
 “わぁ~!” と生徒たちは、ギターを抱える先生にくぎ付けになるでしょう。
 現代の大半の子供たち中高生たちはギターに興味いっぱいですから、先生にも親近感が湧き、“なんだか面白いかも…”と変化して行くでしょう。

 私自身、昭和32年(1957年)から7年間、高校の英語教師をやっていましたが、しょっちゅうギターの伴奏で英語の歌を歌っていました。たちまちクラス50名の心が一つになりました。時には皆で多摩川まで行き、河原で風に吹かれて歌いました。
 未だにその頃の生徒さん達(今は70~80代)が、その時のことを「楽しかった」と言ってくれます。私は、良い意味で生徒の印象に残る教師になれたのです。

 皆で歌う、皆で合奏をすることは、時間を守る・挨拶をする・自己責任の自覚、そして他者を気遣うようになり、後片付けや掃除まで皆、自発的にやるようになります。
 学校の成績さえ良ければ、あとはどうでも良いという偏差値至上主義の教育は、良い日本・良い社会・世界を想うと、人々を幸福にしていく教育ではありません。戦前の修身や道徳の授業の良い面の見直しも必要かもしれません。そして、人の生きる道・命の大切さ・他の人とのつながりを説くだけではなく、倫理観を身につけ、他者との温かいつながり(寄り添い方)を体験できる教育が望ましいと思っています。
 
 江戸時代までは寺子屋教育でした。教育の基本は(1)「読み」 (2)「書き」 (3)「ソロバン」でした。「読み」は歴史を学ぶことで、先生・父母・ご先祖様・歴史を作って来た先人たちのことも学びました。その経過があり今がある感謝の気持ちは「もっと知りたい」につながり、その学びこそが「書き」であり、「読み」としっかりとつながっていました。この “つながり” こそが、人の生きる意味や価値とイコールになるので、学び仕事をする・できる喜び、自他を大切にする・愛することが、家庭・地域・国を愛することにつながっていきます。そうなれば自然に 「ソロバン(経済)」も成り立って行くという考え方です。
 
 江戸時代の日本は人々が助け合わなければ生きていけない時代でした。もちろん現在もそうではありますが、直接他者と触れあうことがなくても生きて行ける時代になりました。しかし、電気がつくのも蛇口をひねれば水が出るのも、それをやってくれている人たちがいるからです。でも普段は、その人たちと触れあうことはありません。
 私が生まれ育った昭和は、近所の人たちとの助け合いはもちろんあり、子供たちは街の皆さんで育てようとする時代でした。子供のケンカの仲裁に大人が入ったり、遊び方を教えるのも当たり前で、大人と子供の触れ合いは今よりずっと多く、子供たちが大人に何かあったら相談できる環境がそこにはありました。
 令和の今はどうでしょうか?人と人が触れ合うこと、大人と子供が触れ合うことが少なく、相談することも、助け合うことも、昭和に比べてはるかに減っているのではないでしょうか。
 そして会社などでは、社員の評価の基準を数字においてしまう。もちろん黒字にすることは、資本主義社会では当然なのですが…。
 
 今の日本は(1)が「ソロバン」で、(2)が「書き」、(3)「読み」の順であり、その弊害を感じます。
 最初に数字の目標(ソロバン)が来て、第2にその目標を達成するための手段(書き)が来て「何のために働くのか」とか、生きがい・価値感(何のための目標なのか)が「後」になっているようです。そして(3)の読み・歴史=先人への感謝などには触れないのではないでしょうか。
 この順番では、数字を上げる意味が隠れやすく、目標の真の意味を語っても薄れてしまい(語らないかもしれません)ので、働く意味すら薄れ、勤務・労働は収入を得る手段であり、その職場(仕事)に対する愛情は持てないので、更に楽に収入を得られる手段を求めて転職し続ける人が増えているように感じます。テレビでも転職やバイトのCMが流れ、手数料を稼ぐ会社が潤っているとか。長年の不景気に続き、この物価高で復職を持つ人も増えてはいますが…。
 日本が長年続けた終身雇用が崩れて来ました。私は数年後を考えると恐ろしいです。あらゆる分野で “熟練者” が激減し、非常に弱い国になってしまうと思うのです。
 2024年現在、日本の国力は減じています。2000年以後、“魔の24年間”とも言われています。この実態を、次代を担う若者たちが自覚できていない、その環境ができていないという現実です。
 このように言える人も減じ、このような文を読めるチャンスも失いつつある人が増しているように思えます。

 つい先日、ある出版社の人がインタビューに来ました。
 前述のような諸々の問題を抱えた日本は、これからどうすれば良いか、ということで…。
 「新堀先生、どうすれば良いとお考えでしょうか」と。
 「“夢を持つ事” から再生が始まります」と即答しました。
 夢の大部分は右脳で描きます。それを具現化するために左脳を活躍させるのがベストだと言いたいです。
 右脳・左脳を別々に考えるのではありません。右脳で発想し大きな組み立てまで持って行く。その過程を左脳で一つひとつを緻密に裏付けて行くという使い方です。
 数字の目標を先にあげて、更に左脳で詰めて行くやり方ではないのです。ここが大切です。

 我がチームは、右脳で発想し左脳で固めて行くというやり方を70年間続けています。
 例えば、新堀ギター音楽院創立のモットーは “心の糧になるよい音楽を全ての人々に広めましょう” です。これは右脳での発想・夢です。
 この言葉は新堀ギターの最初の看板(1958年~)はもちろん、私の教本・著書にもしっかりと掲げています。そして2024年現在、本部本館やライブ館の受付の壁にもモットーは掲げてあり、聖庵(和室)の床の間の掛け軸にも落合康男氏の書でモットーが掲げられています。このように、私たち(このチーム)は、どのような夢づくりを目指しているかが、初めて訪れた人たちにも、すぐ分かるように示されています。
 かつての日本のように、恵まれた人だけの音楽学校ではなく、国籍・学歴・貧富・性別・年齢など全てを超えて、学び・楽しめ、それは健康長寿にも寄与し、平和心を育み “地球は一家の実現” という、途方もない幸福道をつくる「夢」として掲げているのです。
 
 2024年1月632号のハーモニー誌には、100名を超える人達がメッセージをくださり、各国の要人たちからも、私たちの音楽を通した平和活動を応援し、涙の溢れる感動文を送っていただけたのです。
 素晴らしい夢があれば、数字は後からついてくると、私の幸せな90歳到達認証で、お約束できるのです。