【幸福道22】感動いっぱいの演奏力 5

 
 独奏の魅力とオーケストラの醍醐味の両方が満喫できる音楽形態はコンチェルト(協奏曲)です。故に、ヨーロッパの一流音大のように、我校も卒業演奏はコンチェルトのソリストを務める事を理想としています。全国的に見てこれが叶う音大、学生は少ないのですが、我校はその夢を叶える事ができます。その仕組みなどは別の機会に述べます。
 コンチェルト(協奏曲)では、卓越した音楽性・演奏力・人格を持つソリストのバックをオーケストラが務めるのが通例ですが、本項ではまず、それとは異なる“子供のコンチェルティーノ”のお話をします。これは子供たちがソリスト群で、そのバックは年上の人、大人たちが務めるという、ユニークな形態です。私は子供たちの豊かな感性と好奇心にかけてみたくなり、このような子供たちがソリストのコンチェルティーノを作曲しました。
 
 まず、子供のギター教育の歴史を辿りたいと思います。
 私には年齢の離れた3人の娘がいますが、長女が幼児(2,3歳)の頃、子供用ギターは無く、大人(一般)用の各種音域ギター(アルトギターやバスギターなど)さえ、まだ開発中でした。子供用の教本どころか、「現代ギター教則本」(新堀寛己編著) さえ出版されていない当時、阿佐ヶ谷本院のフロアを「こどものオルガン教室」に貸し出していたこともあり、長女が2,3歳の時から習ったのはオルガンでした。
 長女と次女が幼い頃は、自宅兼ギター教室であり、自然とギターには触れる(弾く)ようになって、長女が小学生の時にレッスンを受けさせてみたこともありましたが…。
 次女が小学生の時は、子供(小学生)の教本・ギターが充実していった時期で、子供でも演奏できる張力のアルトギターも出来ていました。アルトギターはプライムギターよりも小さく(手が小さくても弾きやすい)、音域も高く(聞き取りやすい)、子供に適している面が多いのです。それ以前に、新堀ギターでは小学生の体格に合った小型のプライムギターも既に製作し使用されていました。
 ギターを弾く小学生が増えていき、天才的な奏者が次々に誕生しました。次女は海外公演に行く私たちを見て、それに憧れて小学1年生の時から「ギターをちゃんと習いたい!」と教室に通い始めました。同じ教室(西荻窪)に通う、卓越した奏者の小学生たちが娘の友達になってくれて、それも刺激になったようです。
 1974年12月のキャンドルコンサートには、こども合奏団が初出演。1975年11月に本院と西荻窪教室の「第1回子ども発表会」が開かれ、1976年5月5日には「第1回こどもギター音楽祭」が開かれるほど、子供たちが育っていました。
 当時、西荻窪教室に通っていた2人の天才少女たちが演奏したカルリの「ロンド」の2重奏の素晴らしさに私は驚嘆し、創造力に火がつきました! そして誕生したのがアルトギターをソロに使用した「2人の子供の為のカルリのロンドのテーマによるコンチェルト」です。
 1976年2月に、私はこのコンチェルトの楽譜を書き、当時のNE(東京新堀ギターアンサンブル)にバックを演奏してもらい、話題になりました。やがて、ソリストの少女一人がバレエに力を入れたいとの事で次女がそのパートを引き継ぎ、このコンチェルトは1977年「新堀ギター音楽院創立20周年記念・日本武道館1万5千人の集い」でも演奏されました。
 小学生のギター教育が進み、その活躍を見ていた弟妹たちも刺激を受けました。そして親御さんたちからのご要望もあり、また以前からの私の夢でもあった「新堀音楽幼児園」を1979年10月に開園する事が叶い、これにより幼児のギター教育と教材の開発も一気に進みました。
 私はこの当時からNRM (ニイボリ・リズム・メソード) と共に幼児も参加できる作品づくりにも力を注ぎ、また子供たちもソリストになれるコンチェルティーノの作品も次々に生んで行きました。ちょうど三女が新堀音楽幼児園に3歳で入園していた時で、娘(3歳~)がギターを弾く姿が作品づくりの参考になりました。
 1994年には、「子供も大人も弾ける小協奏曲集“6つのコンチェルティーノ”」が完成しました。第1曲目は先のカルリのロンドで、「コンチェルティーノ第1番“小さいロンド”」としました。第3番の“小さい鐘”のソリストはアルトギター1と2とギタロンで、子供たちだけでも演奏でき、幼児も子供用のハンドベルで参加できるものです。また第4番“小さい太鼓”はNRMも大いに使ったものです。
 この時期には幼児用=超小型でテンション(張力)の低いプライムギターの他、アルトギター,バスギター,ギタロン、またその弦も開発されて実際に使用されていました。幼児園の子供たちは弾ける(はじける)笑顔で、これらの楽器に飛びつきました。
 子供たちがソリストとなったコンチェルティーノの演奏が発表され、その温かいサウンドに、皆、笑顔いっぱい!作曲した私も親の一人としてとても嬉しくなりました。
 三女は小学生の時、6つのコンチェルティ―ノをほぼ全曲演奏しました。
 そして子供たちをソリスト群にしたコンチェルティーノは、大人のそれとは違う面白い面も分かりました。それは「子供同士=友達との一体感と競争心」、それにバックのオケ=「先生(プロ奏者)や親たち」や指揮者との対話,協調(和),スリル,そして幸福感…。曲のクライマックスには打楽器などで弟妹や親御さんたちも参加する事ができ、近親者の聴衆もズラリで、すごい拍手,笑顔,涙の応援等で大いに盛り上がりました。
 ソリストになった子は、ギター友達(ライバル)と一緒にソリスト(スター)としてオーケストラの前に座り、指揮者からスターとして合図を受け、後ろから来る温かくも巨大で熱いサウンドにひるまず、時にはソリストとしての責任と孤独にも耐えて演奏します。これは根性がつく!いやが上にも人格形成、自己肯定感を促します。この体験は生涯にも強い影響があるに違いありません。
 この様に、それぞれ特徴を持った「6つのコンチェルティーノ」は、人々に幸福感を贈る幸福道の一つになっていきました。

 もう一つ、特筆すべきコンチェルトがあります。かつてない編成のコンチェルトです。2014年9月14日 みなとみらい大ホールで発表し、その時の聴衆の熱い拍手が忘れられません。(この「新堀ギターフィルハーモニーオーケストラ公演2014」はDVDでご覧頂けます)
 それはピアノとTwinkle(=アルトギター2本,プライムギター,バスギターの女性4名と1名の男性ギタロン奏者による5重奏団)をソロ群としたコンチェルトです。バックは単音のアポヤンド奏法を中心として最大音量を出せる新堀ギターオーケストラです。そして大音量のオケとピアノとは対照的に、女性ならではの繊細なギターの独奏や二重奏の音色も楽しめるという、現代人を飽きさせない味付け・構成です。ピアノソロの古賀夏美さんは本校講師として、長年、ギタオケと親しみ、ピアノの繊細な表現、気配りでギターの音を活かしてくれて、ギタリストたちとの絶妙な気の配り合いは、幸せなサウンドを生み、ハートに響きました。
 作曲者は大宮哲先生です。彼は国立音楽大学のピアノ科の学生時代、私が担当していたギターの講座と、私の弾くギターの音に惹かれて、卒業後に新堀ギターに奉職し、今までずっと私と苦楽を共に歩んで来てくれている人です。互いに教育学が専門なので1を語れば10を知る関係で、私のギターメソードを熟知してくれているからこそ、この金メダル級の作品を作ることが出来たのです。実はこの曲の前に、彼は先に述べたコンチェルティーノをモチーフにしたピアノ独奏曲を、私の誕生日に自らの演奏でプレゼントしてくれていました。
 話をコンチェルトに戻します。曲名は「W.M.(ワム)80」。ワムとは、私のオリジナル曲=「ワンダフル・モーニング」を略した言葉で、この曲をテーマに、私の80歳のお祝いに作った曲という意味です。また80には各国からの受賞も80を超えた記念という意味も含まれています。

 「ワンダフル・モーニング」は、私の作品の中で、内外で最も多く演奏されている曲です。
 大島村を舞台とした4つのシーンからなる私の作品、交響詩「才の神」のシーン2にあたる曲で最初に出来上がった曲です。過疎が進む上越の大島村が、1991年に「音楽村」宣言をする記念音楽祭の為に、「元気の出る曲を!」と依頼されて、それに応えるべく作曲したもので、当初のタイトルは「ワンダフル大島村(大平の朝)」でした。
 山間にパッと広がる小さな平野、大平(おおだいら)。早朝に岩栗山の山頂から眺めると、朝もやの中に小さな集落が見え、残雪が紫色の谷間に輝く様は、チロル地方の様です。なんと素晴らしい景色でしょうか!その感動も曲に込めました。
 そして誰もが演奏に参加しやすく、親しめるように、和音の進行をシンプルにして、掛け声(エール)付きのマーチにしました。海外の人達にも演奏して頂け、様々な言語のエールを聴く事ができました。英語も素敵でしたが、中国語があまりにもハマっていて驚きました。
 歌詞も自発的に作ってもらえました。その詞が私のイメージにピッタリで、日本語の響きも美しいものであったので、それを朗読&コーラス入りで、コンサートで演奏させて頂きました。
 この様に、この曲は皆から愛され、演奏して頂けている事が作曲者として嬉しい限りです。
 毎年本校では入校式,卒業式などエールを贈る記念行事に、欠かせない曲となっています。
 皆さんが、この曲で平和・元気・幸福になってくれますように願っています。
W.M.80を演奏した新堀ギターオーケストラ 指揮:新堀寛己 ピアノ:古賀夏美