今、2021年を迎えた時に、20世紀で人類が残した最高の遺産の中で、やはり“セゴビアトーンが最も輝いている”と断言できるのです。
それ程“美しい!!”
これを上回るものは他にありません。
どんな言葉でも表わせません。
ただただ、それを聴いた人達は皆“幸せ”いっぱいに包まれるでしょう。
言葉で言ってしまえば簡単です。それは「爪を短めにし、タッチは左先端で深めに弦の下側から巻き込むようにし、弾弦の瞬間は強めのエネルギーをかけ、弦に自転運動をかけつつアポヤンドする」という事でしょうか。分かる人は、この私の文にすごく反応して頂けます。
夢の音を味わい、身体に取り入れるには、あと2つの条件があります。
その内の一つは、セゴビアトーンを出せるギターを用意する事。
もう一つは、ギター独奏の音を最高に響かせる事が出来るホールがあれば素晴らしい。即ちA.よいタッチ B.よい楽器 C.よいホール が揃えば、あなたは間違いなく夢の幸福界を体験できるでしょう。
具体的には、セゴビアトーンの方向をつかんでいる人は世界に4,5人はいます。国際新堀芸術学院藤沢校教授の寺田和之氏も近づきつつあります。次に楽器ですが、ギターは人間の寿命よりも長いので、各国にセゴビアトーンが出せるものは蓄積されつつあります。2021年現在では、バスギターの最高のものを作れる技術を持つ製作家のギターならば、強いタッチでも音はつぶれません。日本人では、野上三郎、桜井正毅、米山博貴等々です。ホールは、伊豆(日本ギター専門学校)のターレガホールに勝るものは他にないでしょう。
ギターの最大の短所は、21世紀に存在する他のどの楽器よりも“音圧が弱い”という点です。エレキの様に電気を通して音量を上げる事はすぐに出来ますが、音圧をいっぱいにはしにくいのです。
人間は耳よりも、むしろ身体全体で聴いているのです。低音は足の裏からも入りますし、天使の衣擦れの音は、空から降って来る感じです。
100人のオーケストラのコンサートの時の席に来る音は、正確には100ヵ所から個性を振りかざしてやって来てあなたを包み込むので、とても幸せになれるのです。しかし、これを一旦アンプに入れ、スピーカーで流すと100ヵ所ではなくなり、100の個性も半減してしまいます。オペレーターが創り流した音になってしまいます。勿論、現代では下手な奏音をPAの力で聴きやすく音圧を整えるレベルのプロも存在しますが、大抵は色も艶も出せないレベルになってしまいがちです。
音の艶、奥行き、うなり音は倍音を伴って作られる部分が多く、よいホール程これらが活かされ、全身に入ってくるので、人の脳が震える感動を覚えるのです。
しかし、多目的ホールだと、ギターのデリケートな弱い音圧、音量は負けてしまい、空調の風や他の音にも負け、時には消し飛んでしまうのです。特に19世紀~20世紀の大ホールの発達は、伝統ギターのデリカシーを活かす事が出来にくい方向に行ってしまいました。その第一は、巨大空調システムです。どんなにコンプレッサー音を改良しても大ホールは勿論500名の小ホールでも、多量の空気を動かします。この動かすという波にギターのデリケートな音は分解されてしまうのです。特に音の色、艶、透明度を表わす部分は吹き飛んでしまいます。仕方ないギター奏者達は本来の歌心を忘れ、フレーズの頭は勿論、尾でさえも、ドスンとアタックする弾き方を連発してしまいがちな方向に陥ってしまいます。すると透明度や遠達性が命のセゴビアトーンは、非常に出せなくなってしまうのです。
そこで、充分に考えた設計のホールを伊豆の山の中に作る事にしたのです。コンセプトは「ギター独奏専用ホールの実現」です。どうして交通も不便な山の中かと言いますと、ギター独奏の超デリケートな余韻の波動を壊さない時が存在する事を知ったからです。山を知っている人は体験していると思いますが、都会育ちの人は想像できない位に、山の中は静かな所や時が存在します。山鳥達の美しい声の余韻があれほど身体に浸透する事は都会では無理なのです。静かな丘の上で奏でた「アルハンブラ宮殿の想い出」(ターレガ)のトレモロが、何と2つ先の丘(山の向こうの尾根)まで通るのです。本当です。
余談ですが、都心だって「防音室」で弾けば純粋なギターの音は聴けるではないかという人がいますが、これはセゴビアトーンの本当の美しさを知らない方かもしれません。
防音室は、あの絶秒なセゴビアトーンの余韻は吸い取ってしまいます。又、一般の大・中・小ホールでは空調で分解されてしまいます。レコーディングスタジオでの録音は仕方なく人工の余韻をつけるのが大半です。セゴビアのあのラストのLP盤でさえ、リバーブをかけたものです。本当のマエストロの音ではないのです。それでもセゴビアトーンを聴いた人は震えるほど感動します。
私は人生86年間で世界各地の大・中・小の様々なホールや教会、サロン、野外ホールで、独奏からオペラまで聴きました。最終的な結論は、大きさや形ではなく、多目的なものの大半は良くないという事です。ですから、教会での讃美歌が最も美しく自然で、余韻が活かされていると分かりました。
ギターも、たった1本だけに合うホールを造らない限り、セゴビアトーンの本当の音は体感できないのです。
1本のギターの最大音圧と最小音を本当に知って、それを本気で活かそうと思った所からの出発です。私はマエストロ(巨匠)・セゴビアと同じ決意をしました。1本1本、1音1音心を込めて弾弦した時の音を活かす設計です。マエストロと同じに、ラスゲアード奏法も排除して考えました。1音1音を強めにアポヤンドで弾いた時の音圧に向くホールです。
爪を長くして浅めのタッチで、それに合う薄めの表面板のギターを弾く最近の奏者への配慮は除外しました。あくまでもセゴビアトーンを何とか忠実に活かせるホールづくりに徹したのです。
それには常に空気が歪んで動いている都心ではだめです。防音も前述の様に余韻が吸われてしまいます。海や川に近すぎてもだめです。
ヤッホーと最初は静かに呟いてみます。次は大声を出してみて、ラストは、ヤーホーと引っ張ってみて、その跳ね返りが自然な場所こそ最適なのです。それはあるのでしょうか。
ありました。
そこは標高1000メートルの伊豆の尾根を少し降りかけた韮山(西側)です。地上の車のうなり振動も来ません。風の通り道でもないのです。
故にここは、最大の欠点は湿気が多く、楽器をむき出しに放置しては危険な所です。(しかしそこは科学の力を借りればOKです。別の機会に述べます)。
「ターレガホール」は、これ以上の場所は無いという地に建てました。
セゴビアトーンを最高レベルで響かせられるのは、晩秋の快晴が2日以上続いた午前中です。この世のものとは思えない美しい音が、あなたの全身を包むでしょう。そしてその天国の幸福音は生涯が終わってもあなたの脳に永遠に記憶されるでしょう。
ターレガホールの舞台(ステージ)の床も世界№1です。勿論、筋目の通った総ヒノキを用いました。築40年近くなりますが、現在も微塵の狂いもなく、カミソリの刃さえ通さないほど1枚1枚がしっかりと連なり、舞台床全体が1枚板となり、コブシで打つと見事に隅々まで響くのが分かります。木は生き物です。1枚ずつが微妙に個性があります。それを職人さんが撫でながら感知し、最も合致するものを選び、最後にもう一度撫でながら削り、組み合わせて行きます。釘も接着剤も異物は一切使わないのが、舞台づくり名人の技巧です。お能の舞台も勿論、歌舞伎座の舞台も皆、名人レベルの職人さんの伝統があの1枚板となって響く床をつくり上げているのです。
「ターレガホール」は、セゴビアトーンの話を何日もかけて私がお話しして、涙した職人さんが腕を振るってつくり上げた傑作です。世界に2つとないものです。この床、この響きを24時間体験して、巣立ったギタリスト達が今、2021年現在、日本各地で最も多く活躍しているのです。(つづく)