【幸福道4】 見えないものに幸福がいっぱい

【幸福道4】
新堀寛己の健康長寿考

見えないものに幸福がいっぱい

 考えぬいた結果“サンタクロースはいる”と、ゆるぎないものになりました。
 以前、米国の裁判で、「サンタは存在する」という判決になり、私は万歳しました。
 赤いコスチュームまで、子供も大人も、アメリカ人もドイツ人も、みな姿の面まで想えるなんて、すごい実在力の高い証ではないでしょうか。
 私は、昔も今も、サンタさんのお手伝い=人々に夢や希望を届けるお仕事をさせて頂く事が多々ありますが、その時、私を動かしているのは宇宙のパワーと言えるものです。そのパワー=サンタさんです。目には見えない、大きな愛のパワーです。
 大人になると、目に見えないもの、科学で証明できないもの、理屈では理解できないものなどは、否定してしまいがちになってしまいます。しかし、先入観を持たない子供たちは、純粋に様々なものを受け止め、感じる事ができ、このようなパワーを感じる力も強いのではないでしょうか?
「愛」 も 「思いやりも」 も 「空気・そよ風」も 「平和心」 も手に持ったり見ることはできませんが、存在しているものであり、そのようなものこそ大切で、幸福になれる要素がいっぱいあるのです。

 「愛」 も 「そよ風」も経済には無縁かもしれません。
 経済性(左脳)が先行すると、数字・利益を上げる事が優先され、それが全てのモノサシ(価値基準)になってしまいがちです。しかし、神がお創りになった「人」は、人らしさを深めるほど、感性・気持ち(右脳)が重要であることに気付きます。
 ここで再び、「幸福道1」に書きました「コップに半分の水」の話を振り返ってほしいのです。数字で考えると、コップの中の水が2分の1なのか、3分の1なのかは重要なテーマです。しかも、無くなってしまうまでの時間や、その後の対策はとても大切で、左脳をフルに使い緻密な計算を立て、万一に備えねばなりません。これも重要ですが、問題が解決するまでは、安らぎや幸福は感じられません。
 しかし、喉がカラカラに乾いていて、やっと水が飲めた時の、あの美味しさ、幸せ感は最上だったはずです。そのような感覚(装置)を神は創ってくれているのです。もう一度述べます。この美味しさを先ず感じることこそ「幸福道への原点」だと思うのです。
 日々の生活の中での“幸福”を感じられる事が大切です。小さなことにも「感謝」の念を持てる人は、多く幸福感を持てるでしょう。そして「感謝の集積」こそ“平和心”を養います。

 最近、本校の学生たちや若い職員の言葉や文に、“感謝”や“恩返し”という言葉が使われるようになって来ました。この事には「日本の心が蘇って来た」と感じています。そして私は、このような事を話せるようになった若者たちに「感謝の表し方」「恩返し」などの具体的な方法を話しています。“幸福へ歩む道”=幸福道をしっかりと示したいからです。
 “幸福”は脳が感じるものです。
 “幸福”というモノ(実態)が、そこにある(存在している)のでなく、脳が感じるものなのです。見たり触れたりして確かめられるものではないのです。
 私はヨハン・シュトラウスⅡが作曲した「こうもり序曲」が最も好きです。どこが好きなのかを問われれば、それは厚い本が書ける位、あらゆる面で好きです。ウィーンフィルの本拠「ウィーン楽友協会(ムージクフェライン)大ホール」で、私は世界の指揮者たちが使用した控室の(エジプト風装飾の)窓から、出番直前にふと外を眺めつつ、彼(シュトラウス)自身が初演した時の“幸福感”に想いを巡らせました。
 私もあの時は、もはや感動という熱い衝撃波を遥かに超す“ぶ厚い幸福感”に包まれ、五体は重力から解放され、とても大きな優しいエネルギーが指揮棒を握らせステージへと歩み出させたと思います。
 そこには、ここ(ウィーン)からとても遠い国、日本で左脳もフル回転して学んだ知識は、もはや瞬時に吹き飛び、ただただ作曲家が感じ描こうとした想い“感覚”=幸福感が、唸りをあげ、格調をもって私の心・五体・タクトを動かしました。「こうもり序曲」エンディングの、あのエネルギーを満タンに込めた左拳の打ち下ろしの終結は、私が学んで出したものでなく、作曲家が、ウィーンのすごい聴衆が、また火の玉となった奏者達が…、いや、やはり音楽の神様(右脳)がそうさせたのであろうと感じるのです。

 人間の脳はすごいです。無限の可能性に満ちた宇宙を備えているのです。それを大抵の人は生涯でわずか3%しか使っていないとか…。高齢になれば、身体の全てが老化し衰えると思われがちですが…、医師の日野原重明先生は90歳で初めてオペラを作曲し、柴田トヨさんは92歳から詩を書き始め、98歳(2009年)で自費出版し、2012年(100歳)には詩集「くじけないで」が160万部を記録した、という事実があります。
 あなたも幸福道に舵をきれば90歳で素晴らしい時を過ごせているに違いありません。あなたの持っている右脳の宇宙はすごいのです。ここに気付く第一歩は、幸福道を見つけようとする「気」からなのです。

 今がどんなに不幸に思えても、人は考え方を少し変えるだけで、幸福道に入っていけます。
私の人生の「試練の面」を暗い視点で見れば…、音楽(ギター)の道を志した時には、親族から反対され商業高校へ進み(この時点で大学進学は考えられなかった)、その後、学校の教師になることを条件に青山学院大学に進学(本当は音大に行きたかった)。卒業後、音楽院を立ち上げる時には父親から「河原乞食になる気か!」と猛反対され、高校教師をしながら音楽院を創立。宣伝方法がわからず3ケ月間、入学はナシ(生徒さんゼロ)。ようやく希望が見えてきた創立5年目で同志に裏切られ、夢を持って始めたギター合奏は「邪道」と否定され、20年目で最も信頼していた部下がこの世を去り家庭は崩壊、30年目で今まで創り上げた本院(先祖代々の土地)、多くの財産・全国の教室とスタッフ・学生を失い、自宅に戻れない逃避行の毎日…太陽は暗く、涙は乾き、天井板の節目ばかりを見ていたどん底の日々…。
これらの詳細は、私の84歳までの人生を綴った「愛のサウンドを広めて」に記しました。この暗い面も事実ですが、明るい視点で見れば、大いなる幸福も私を包んでいたのです。
振り返れば、特に70代以降多くの表彰を受け、ローマ法王から祝福され、国連NGOの平和大使や、赤十字社国際委員会の芸術伝道大使に選ばれる栄も授かっています。
 もしあの苦しかった時、自分の人生をあきらめ幕を引いてしまったなら、今の音楽院も愛のメソードも存在しなかったのです。感動が爆発したウィーン楽友協会ホールでの指揮も、多くの皆さんとの出会いもなかったのです。

 辛い試練の日々の中で、それでも“太陽は明るく暖かく、いつでも照らしてくれている!”と本来の感覚を取り戻せたこと…太陽の輝き、清らかな水、新鮮な空気=この自然、この恵み、この真実をどうして忘れていたのだろうか、多くの恵があり自分は生かされている。この感謝を、見失い疎かにしてしまう時があります。しかし、誰かが言っていたように「生きてるだけで丸儲け!」です。
 考え方を少し変えるだけで、皆が幸福道に乗れるのです。
人の身体は細胞・細菌の単位で考えれば、多くの生命の集合体であり、それらが支え合い懸命に生きようとしています。例えば、普通のかすり傷は自然に治りますよね。すごい力です。あなたの持っている力です。
更にすごいのは、それに加えて周りには幸福の種がいかに多い事か…。青い空、真っ赤なバラの花、鮮やかに群れを成して咲き散る桜花。鶯の澄んだ声、ワンちゃん、ニャンちゃんの首を少し傾けてあなたを見る瞳、大切な人の何でもない所作等々…、これらは通帳や金庫にしまってあるものではありません。この恵、幸福を“脳=心が感じる、受け入れられる事”が大切です。
 闇に捕われていると、この恵をなかなか感じる事ができないのですが、そんな時こそ、意識してでも、自分の周りの恵、幸せを一つ一つ数えてみるもの良いかもしれません。
 幸せに気付ける事が「幸福道」への入口です。
 クラシックギターの神様=“アンドレス セゴビア”の音は、世界一美しいです。感じてください。幸せな気持ちになれます。
 モーツァルトの17番のメヌエット(女性メンバー有志による1991年の録音)の、アゴーギク・表現はギター合奏の極致です。感じてください。
2002年のポーランドで奏でた小山清指揮のショパンのOp64-2のワルツ、終わって0.7秒後の破裂するあの拍手!感動が溢れています。
 全て“脳”が感じるものです。ですから何十年経っても、決して錆ません。いつも幸せ感に満たされます。この幸せの道を、もっともっと多くの人達に味わってほしいのです。
(幸せホルモンは免疫力もアップさせますよ)