20世紀最高のギタリスト、いや音楽界の頂点を極めたアーティストは、アンドレス・セゴビアでしょう。 セゴビアは、この世のものとは思えない程の美しい多彩な音を完璧なコントロールで操り、1本1本の指が独立して、複数の人で演奏しているかの様に生き生きと表現しました。例えばソルのエチュードでさえ、高音が徐々にデクレッシェンドし、内声は一定のスタッカートで奏し、低音は逆にクレッシェンド等の同時進行をやってのけてしまうのです。そして輝きのある美しい音は数種類も持っていて、曲想に合わせて絶妙に使い分けるのです。正に独りで弾くオーケストラで、人々は“音のマジシャンだ!”と叫びました。 しかし、セゴビアの演奏の全盛期は、この素晴らしい演奏(絶妙な間,音量の微妙なコントロール,ギター特有のテヌートから生まれる余韻・倍音)を、生演奏以上に完璧に録音・再生する事はできませんでした。私はSPレコード時代からセゴビアの名盤を楽しませて頂きましたが、SPは針を盤の溝に落として音を出すので、溝が削れて行きノイズがひどくなり、やがては聴けなくなってしまいました。 セゴビアは演奏もさることながら、クラシックギター界への功績が大きいです。レコーディングもその一つです。 セゴビアの晩年では、生演奏に勝るとも劣らないレコーディング・PA技術が進み、何度でもマエストロの演奏を、生演奏に勝るとも劣らないサウンドで楽しむ事が出来るようになりました。再生ソフトもLP,CD,DVD, BD,レーザーディスク、そして今ではYouTube(動画)等でもセゴビアの映像・演奏・お話まで鑑賞する事が出来るようになりました。 さて、Niiboriの録音作品の中で、セゴビア晩年のものに匹敵する優れたものはあるでしょうか? あります!それは、新堀ギターオーケストラの女性メンバー有志による “モーツァルトの17番のメヌエット”の演奏です。演奏メンバーにはこの曲を最初に演奏した初代ドリマーズの2世達もいて、私が指揮したものです。「新堀ギターオーケストラ‘91ライブ “さくら変奏曲”」CD,VTRとして世に出されたものです。(今でもこのCDは新堀芸術学院楽器部で販売中)。この演奏がスタジオ録音ではないというのもスゴイです。美音はもちろん、音量の増減と間の絶妙さが素晴らしい!生演奏の完成度の高さとエンジニアによる傑作です。 ぜひ、優れた再生機器で鑑賞して頂きたい名盤です。NiiboriTVで、この音をそこなわずに配信できると良いのですが…。尚、新堀学園・本館2Fのミュージアムには優れた再生機器も設備されていますので、そちらをご利用されることもお勧めします。 2021年 夏の東京オリンピック&パラリンピック(閉会9月5日)に続き、わずか数ヵ月後、2022年2月4日には北京での冬季オリンピックが開始されました。金メダルは、その時点で、それ以上は無いという最高の賞です。 音楽でも、その時点で世界最高!「金メダル」だと思えるものがあります。 手前味噌になってしまいますが、これは我がギタオケが最高ではないかと思える録画(VTR)があります。それはライブDVD「新堀ギターフィルハーモニーオーケストラ2005“南国のバラ”」に収録されている演奏です。 2005年9月4日、ミューザ川崎シンフォニーホール(1997席)で“ブラボゥー‼”の歓声が上がった金メダル級のコンサートでの事。当時は日本国内で、ブラボゥーの声がクラシックギター系のコンサートであがるのは稀で、これは演奏も客席も国際レベルでないと起こり得ない事です。 曲はM.ジュリアーニのギター協奏曲イ長調Op.30番。 マウロ・ジュリアーニ (1781生-1840没) はイタリア生まれ。ヴァイオリン,チェロ,ギター,フルートを学び16歳でミサ曲を作曲。1806年~1819年に爆発的なギターブームであったウィーンに滞在し、ギター界の第1人者として名声を博し、多くのギター作品を発表しました。このギターとオーケストラの為の協奏曲作品30も1808年に初演されています。ベートーベン(1770生-1827没)とも親交を結び、1813年12月8日にベートーベンが自ら指揮した交響曲7番の初演当日はオケの一員(おそらくチェロ)として参加…という事で、ベートーベンの音楽的影響をジュリアーニが受けていた事は確かでしょう。 私が音大に勤務していた時代、音大ではベートーベンを中心に学ぶシステムでした。何故ならベートーベンは古典派音楽の集大成であり、ロマン派音楽の先駆者であり、それ以前とそれ以後を学ぶやり方が最も教育的・効果的でもあるからです。 ジュリアーニの作品30番は、ベートーベンの作品の様に構造美に優れたものです。しかしこのギター協奏曲のバックを管弦楽オケで演奏すると、ギターソロが活かしきれない事を私は感じていました。もちろんPA無しでは、ギターと現代の管弦楽オケでは音量差が大きく、自然に(バランス良く)聴ける演奏は困難です。元々の楽譜では、「ギターとオケとティンパニの為の協奏曲」となっているのですが、PAの無い時代、弦楽のオケもティンパニも現在のものよりも音量が出ない楽器だったのかもしれません。ウィーンのギター大ブーム時代の曲とあって、大変に華々しく派手なギター協奏曲であると感じます。 さて、バックがギタオケであれば、音量の問題は解決します。しかし、プライムギターソロ(1本)とギターオーケストラでの演奏を何度かやりましたが、更にギターの魅力を前面に出せないかと考えたのです。 その答えが、ギターのソリストを二人にして、オケ+二人の掛け合い、そしてカデンツァも二重奏の魅力をたっぷりと出せるようにしたのです。もちろんカデンツァはソリストに委ねました。 この曲を仕上げるには、二人のソリストに神業に近いテクニック(スケートで言えば、4回転半アクセルを二人が同時に行なう)が要求されます。 そのソリスト=兄貴分であるドヤ顔もやれる西川満志と、弟分の“兄貴に負けてたまるか”の寺田和之、二人の飛びぬけた技術と音楽性、そして見事に合わせる呼吸とテクニックがなければ、あの演奏は実現しなかったでしょう。世界中からどんなに優れたギタリストを呼んでも、あれ程の掛け合いと一心同体化は表わせません。 西川と寺田は、正に一つ釜の飯を食って育った輩であったから、それが実現したと言えます。 二人とも我がN校(現・国際新堀芸術学院)の卒業生で、西川は東京校,寺田は伊豆校で学びました。そして二人ともNE(新堀ギターアンサンブル)のメンバーとして長期に亘って全国を周り寝食を共にし、その後、西川は伊豆校の、寺田は藤沢校の主任教授として活動していました。その時の演奏です。 西川,寺田のアクション・表情を、ぜひDVDで何度もご覧ください。勿論、金メダル級の技術ですから、最初はついそちらに気が行ってしまいます。しかし2度目、3度目で、彼らの呼吸・掛け合い、目線、弾き切った時のアクション、私(指揮者)からの様々な合図の受け取り方、逆にソリストからの合図、オーケストラとの駆け引き(特に受ける間、渡す間)、一瞬の合図での二人だけの領域の作り方、そしてコンチェルト(大型バック)特有の花形ソリストとしてのアゴーギク、振る舞い等々に注目してください。 この演奏会を聴いた人々の帰り道は幸せな道、幸福道であったことでしょう。