【幸福道5】 四季の幸福

【幸福道5】

四季の幸福

茶道の高匠・武田先生(樹木希林)は“ふくさ”の扱いを、まるで手品師の指先の様に、美しく流れるがごとく、自然な所作で典子(黒木華)と美智子(多部未華子)の前で繰り返した。二人の大学生(二十歳)の日常には微塵も存在しない無音の内での出来事だ。

 これは映画「日日是好日」(にちにちこれこうじつ)のトップシーンです。

 典子は大学卒業後も茶道教室に通い続け、和装も身に付き、就職、恋愛、そして大切な人の死…と人生を重ねていきます。気付けば、辛い時にはいつもそこに武田先生の優しく静かで厳しい所作とお茶がありました。

 初春にお茶をたてるシーンで、釜から茶碗に注ぐ湯の音と、全く同じ所作で水を注ぐのでは、こんなにも音、いや室内の風情すら変わることを私(著者)は知りませんでした。私の神経はこの事に86年間気づかないレベルであったのかと残念でした。

 そして晩春のお茶をたてるシーンで、先生がささやくのです。

 “足先をあと4センチ縁側に寄せて…。”

 正座の膝はそのままに、胴(帯)が、ほんのわずかに室内側に向き、光がドラマチックに大きく転換し、帯の4分の1は、まるっきり異なるシーンを映し、典子の柄杓を持つ影は別人となってしまったのです。

 私は“ハッ”としました。

 季節はもちろん、その時々によって最も良い最も美しいものは無限にあるという事に気付き、それを活かし、表現が出来なければ本物ではない。同じ場所でも、季節、時間により別世界になり、それに最も相応しい所作が存在し、その宇宙を最美に表すものがあるのだ、と武田先生は教えているだと感じました。

 四季の変化に恵まれた国は幸福です。感性を磨ける環境は何より尊いです。

 お茶をいただく前に出される“和菓子”にも季節感がいっぱいです。

 創った人達の先祖,環境,自然への深い感謝、敬意が形にも色にも味にも漂っています。

 人々は思わずニッコリの幸せ感をいただきます。

 お茶会の前、弟子達は、その日に用いる茶器の選別を話題にします。その時の、最初のテーマは「季節」です。

世界には四季のない国、感じられない国も多いです。暑い時しかない赤道直下の国々、氷に覆われた南極・北極とそれに近い国々、植物の生えない火山地帯や砂漠、一面が岩塩の地域などなど。

日本ほど美しい自然、鮮やかな四季に恵まれた国はむしろ稀かもしれません。

 それを最大限に活かしてきたのが茶道(日本の文化)などでしょう。

お茶のお稽古は同じ事の繰り返しですが、和菓子も器も着物も帯も風呂敷も履物も、床の間の掛け軸も、玄関の飾り類も、全てに季節・干支・天候に気を合わせ、その日と相手と場により使い分けるものです。全てが美を求め、人として幸せに思えるものを築いて来たと言えるでしょう。

 そして茶道に由来することわざ「一期一会(いちごいちえ)」も、「日日是好日」(禅語のひとつ)も、その瞬間を大切に一生懸命に生きる事を表す言葉です。

 木々に草花、風、水、光、虫の声…様々な場から日本人は四季を感じ、愛でて来ました。

 邦楽には季節を表わす音階があります。春の音階、秋の音階など。

俳句や短歌では、季語を入れます。

しかし、私達が毎日使っているドレミファは、音階自体に季節感はありません。

声明(しょうみょう,仏教音楽)で有名な三千院を挟んで二つの小さな川、呂川と律川が流れています。この川は、呂(呂旋法=呂音階)と律(律旋法)にちなんで、呂川(りょせん)と律川(りつせん)と呼ばれています。

声明や雅楽などの旋法(音階)には、「呂(りょ)」と「律(りつ)」とがあり、それぞれの音階に基づいて誦唱(ずしょう),演奏されます。その「呂」と「律」の音階を間違えると訳のわからない曲になってしまいます。その状態を「呂律が回らない」と言い、それが時代とともに変化して、「ろれつが回らない」と言われるようになったそうです。

声明やお経は、歌のように音程や音の長さも決まっていて、僧侶の方達は毎日修練されているわけです。お経の響きは、気持ちが落ち着き安らぐと共に、思わず佇まいが整う威厳・力量を感じます。

この日本の素晴らしい感性が、世界で受け入れられた例として、次のお話をしたいと思います。

1974年、今から46年前、進退をかけ、ギター合奏による長期(約40日間)ロンドンツアーを決行しました。当時の飛行機では、羽田からヒースロー空港に到着するまでに約30時間もかかる長旅となりました。

このツアーの演奏者に選ばれたのは、当時、日本でもテレビ,映画,ラジオ,サロンのレギュラーステージ等で活躍し、注目されていた女性合奏団「ザ・ドリマーズ」(8名編成)でした。

レパートリーにはプライムギターを中心としたものと、アルトやバスギターなど各音域ギターを使用したものがあり、一人が数種類のギターを使い分け、飽きないサウンドを作っていました。

ですから、楽器は一人が2本、衣装では着物も使いたいと思い、特製のトランクを作ることにしました。この前例のないトランクは、ロンドン公演の事を知った手工ギター製作家が、何度も試作品を作り、1年以上もかけて完成させてくれました。

それは、厚さは通常のトランクの2倍、幅はバスギターの幅。開くと、片側には2本のギター,足台,40日分の弦やメンテ類,楽譜類全てが固定でき、もう片側には、着物(振袖)類一式と、着替え,洗面用具,薬,缶詰,履物などを固定できる仕組です。

トランクはキャスター付きでしたが、当時の床や道は現在の様に平ではなく、また女性では動かせない場所もありましたので、そこは男性である私とマネージャーの出番で、移動時は大変な力仕事となりましたが、“ギター合奏が、世界一の音楽の場で受け入れてもらえるか否かを確かめる!”という気持ちの方が勝っていました。

 インターネットなどがなかった当時、ヨーロッパの人たちが日本に持つイメージは、人力車.富士山,芸者さんというもので、ロンドンでは、未婚の日本女性の正装=振袖姿、ましてや複数の女性の振袖姿など、ほとんどの人が見たことがない時代でした。

 現地通のマネージャーは、ドリマーズ(英国での名称はドーターズ・オブ・ヘブン=The Daughters of Heaven)の、このとっておきの姿を、いきなりロンドンで披露するのではなく、近郊から攻めるという作戦をとりました。日本で例えるなら、東京ドーム公演前の高崎,水戸,八王子,小田原あたりからです。この作戦は大成功でした!

英国の聴衆の反応ですが、とても感動した人達は、座席の上に立ち、やがてステージに押し寄せて上がり、アーティストにハグし、涙して、“Marvelous!(マーベラス!) Great!(グレート!) 訳:信じられない!素晴らしいわ!”と叫び、老婦人は私の手を握り、“あなたたちの音楽は、私を少女時代の故郷に戻してくれました!ありがとう!”と目を潤ませるのです。

 このような成功が何度か続くうちに、驚く事が起こったのです。

私たちはキャラバンのように、1号車は奏者やマネージャー達、2号車は私がハンドルを握っての荷物車、3号車はメイクするチームと、車を連ねて移動していました。そしてカーブで気付いたのですが、

“えっ、4号車!?その後ろにも…列が長くなっている!?”

なんと私たちの後ろに、車が列をなして付いてきているようなのです。

この様な状況の後には何が起こったと思いますか?

マネージャーの最大の狙い通り、あのBBC(英国放送協会)が動き出したのです。“数本のニュースですぐ取り上げる”“特番を組む”“日本庭園での撮影をする”“30センチLPでレコードを作る”“全ヨーロッパの放送権がほしい”等々、一挙に超一流扱いのオファーが来たのです。これらを、大規模なストライキ中の真っ只中でしたが、いくつもの例外を国や市に認めていただき実現して行きました。

しかし、最初のニュース番組では、まだ椅子やテーブル一つを動かす事も出来なく、振袖のメンバーは、カウンターバーの上に持ち上げて座らせてもらい、楽譜は床に並べるという、とんでもないセッティングだったので、すぐに完全に暗譜している曲に急遽、変更させてもらいました。

そんな中でも、高・中・低音が揃ったギター合奏のサウンドと、全て振袖の日本女性の美を、どのプロデューサーもカメラマンも記者達も求め、絶賛してくれました。

また、こんな事もありました。正装が似合う、黒塗りの天井の高いタクシーでホテルに戻り、揃ってレストランに入ろうと並んだら、アッと驚く事が起こりました。何と、レストランの専属オーケストラ奏者達全員が立ち上がり、心を込めて“さくらさくら”を奏で始めたのです。そして満員に近いお客様達が次々にナプキンを外しつつ立ち、手を頭上にあげての拍手をし始めました。その中を私たちは、最高のテーブル席に案内されたのです。

 当時、テレビは1日にわずかの時間しか放映されてなく、一流のホテルでも時間が来ると大勢の人達がロビーに集まって皆で観る時代でした。

この熱い歓迎をしてくださった方達は、さっきテレビで見た、遠い遠い東の端の国からからやって来た振袖姿のお嬢さん達が、見た事のないアルトギターやバスギターで、日本のオリジナルを、一糸乱れず、素晴らしい音とハーモニーそして音楽表現で演奏する姿に、時を忘れて感動したとの事でした。

 人々は、いつまでも、日本の着物の美しさ、豊かな季節感、格調の高い立ち居振る舞い、そしてそこからいただけた“幸せ”を語っていました。

 この幸せを、未だにその時の方達と共有する時があり、その時、私の魂もあの時に戻っているのかもしれません。