【幸福道1】幸福道の基本

月刊ハーモニー2020年4月(604)号掲載

 

【幸福道1】

新堀寛己の健康長寿考

幸福道の基本

先日、認知症診療の第一人者である繁田雅弘医師(東京慈恵会医科大学 精神医学講座教授)との対談の時に確認出来たのですが、「認知症」は加齢と共に少しずつ進む傾向にあり、「うつ病」は、それに比べると急速になってしまう場合もあるとの事です。認知症では“何を忘れたのかも分からなくなる”場合があり、うつの方は“こんな事も忘れる自分が情けない”となるとの事です。

 故にうつは、考え方を変える事で、正常に近づける可能性が充分にあるわけです。

 物事に対する考え方、捉え方ですが、例えば、コップの水を半分飲んだ後、残った水を見て、“まだ半分残っているぞ”と考える人と“あと半分しか無い”と考えてしまう人がいます。更に“この水が無くなったらどうしよう”“もしかしたら死んでしまうかもしれない”とまで考えられるわけです。

 皆さんはどう考えますか?

 私は、水が「半分もある」、「半分しかない」という視点とは違った視点で…。

 それは、のどが渇いて最初にゴクンとのどを鳴らして水を飲んだ瞬間、どんなに美味しかったか!どんなに幸せだったか!この“幸せ感”に目を向けて欲しいと考えるのです。

 本稿を進めるにあたって、この事がとても大切なので、覚えておいてください。

 幸せな気持ち=幸福感が分かる事、ここから他の人の“渇き”も理解できる道が開かれると思うのです。

 これが私の幸福論の原点です。

 この幸福感こそ最高に素晴らしく、その装置をつくってくれた創造主への尊敬と感謝と賞賛は永遠につきません。この想いこそ“地球一家づくり”への基となる事は間違いないと思うのです。常に人間らしい感性(右脳)先行が大切で、知性(左脳)はそれを補い高めるために用いてこそ人らしい、と哲学したいのです。

 それ故に、感性(右脳)と関わる音楽専門家の役割が重要になって来るわけです。

 日本の「光」は文化です。「影」は自死者が2万人を超えている事です。死にたいと思っている人や、そこへ向かう道を歩みつつある人達はそれ以上にいる事でしょう。

 豊かな物に恵まれ、清潔な環境に恵まれ、夜中に独りで女性が公園を歩いたり、地下鉄にも乗れる治安もトップクラスの国なのに、毎日のように人身事故のアナウンスがあり、正確に走っていた電車が止まり、それを多くの人々は当たり前のように受け止めてしまっています。これは絶対に異常です。

 “生きがいが持てないから、自殺者が多い”と私は思っています。

 生きがいとは“幸福感が満ちている事”とイコールです。

 それはずっと続く事、出来ればいっそう高まって行くものであってほしいです。

 お金に、物に、名誉など…、これらはどこまで追ってもきりがない世界です。またこれが十分にあっても、幸せ感にずっと満たされるとは限りません。

 しかし“音楽などに涙して感動した幸福感は生涯忘れ得ないもの”です。

 心の底から“愛している、愛されている”という幸福感も忘れ得ません。

 それにワンちゃん(愛犬)と一緒に過ごした楽しい想い出など…愛の共鳴を持てた事は、生涯のかけがえのない幸福感の財産を持った人である事は言うまでもありません。

 “共鳴し合う愛”は深く幸福感に満ちています。

 ギターの演奏などでは「独奏」も楽しいですが、「合奏」は更に幸福感に満ちています。

 6000年の歴史を持つギター属は、人の胸にずっと抱かれて、そのぬくもり=“共鳴し合う幸せ感”を伝えて来ました。

 政治,経済,科学,教育,商工業も、全ての目標を、“生きがいづくり”に強くシフトした時、日本の自死者は激減するでしょう。これを実現するために、音楽家の役割は非常に重要であり、人間史に重要な実績を重ねて来たギターを大いに活用することが望ましいです。それも「合奏」が大切です。

 「認知症」については、名称,考え方,治療についても、言いたい事があります。

 始めに名称ですが、国立や県立の病院では、最近は「物忘れ外来」とか「認知症科」とかの文字(看板)が掲げられていて、私はこれに驚いてしまうのです。

 その理由ですが、“物忘れ”とかは脳の一部、特に知識や言語をつかさどる左脳が不全になったかのように思ってしまいます。また“認知”という文字を用いて看板に掲げる事自体、よく理解できません。人間の脳の極めて一部分の機能だけしか見ていない様な気がするのです。

 神がお創りになった脳は、この様な部分の事でなく、人間の脳全体の機能が前提で、特に音楽脳と言われる右脳が優先されてこそ人らしさが保たれているのに、知識脳(左脳)の機能中心での診断で病名を付け、パターン化した治療に入れてしまっては、日本の「影」は根本的に再生も完治も困難になってしまうと思います。

 江戸時代の後、西洋に追いつけ追い越せの教育が中心になり、それ以前までの 読み→書き→ソロバンが、ソロバン→書き→読み に変わった事で、こんな日本になってしまったのかも知れません。(ここで言う「読み」とは、歴史を読む、特に自国の歴史を知り、先祖・両親・先生を敬う事等の意で、「書き」はそれを分析し、学び、身に付け、その結果がソロバン=経済が成り立つ という考え方の事です。)

 特に戦後は、ソロバン=経済・数値目標が先に来て、その為の戦略(書き)が続き、最も大切な人間らしさを生む「読み」が後に来ているように感じます。

 自国の歴史は我国の学校では今、しっかりと教育されているのでしょうか? 先生や親が、キリスト暦(2020年)は知っていても、日本暦(皇紀2680年)を知らない人が多いのが現状です。ここを正し、歴史を学び、町を愛し、先祖・両親・先生を敬い、感謝の念を持てば、幸福感が満ちて行くベースが出来て行きます。そうなれば自死者も激減し、ひいては医療費減,大幅減税さえ見えて来るでしょう。

 次に、日本人の死因の第1位は“ガン(癌)”です。ガンは、うつ病や認知症の様に脳だけの病ではありません。全身のあらゆるところでガンは発症します。しかしガンの研究が進み、治療法も日々進歩し、またガンを発症させる原因も一層解明されてきました。

 そしてガン発症の引き金の大きな要因に「ストレス」が関わっているという事が、明かになって来たのです。故に、ガンが発症した部分への治療だけではなく、「ストレスの治療」が非常に重要視されるようになって来ました。

 ストレスを感じるのは主に脳です。

 特に左脳(知能)の偏った使い過ぎから来るものは、音楽脳と言われる右脳(感覚脳)の活用で驚く程、改善の効果があります(音楽を聴く、合奏をする)。

 私が何度も取り上げている日野原重明先生(聖路加国際病院名誉院長)の論文やVTRで発表されている「ギターを用いた失語症の奇跡の回復例」も、その効果を実証しているものです。

 「うつ」も「認知症」も「ガン」も、脳のバランスの取り方次第で、予防や改善出来る可能性が非常にある事を、私は強く言いたかったのです。

 それには政治・医学・教育も、神がお創りになった幸福論を呼び起こす「音楽」=伝統ギター=それも合奏をもっと重んじて頂きたいのです。知識以上に感性を重んじ、そこから個性=一人一人の幸福感、一人一人の生きがいを見出しやすい国づくり、学校づくりになってほしいという事を述べたかったのです。

 20世紀は科学で解けないものを軽視し過ぎ、モノ(資源)の奪い合いで世界中で6600万人の尊い命を失いました。しかしこれからの特に日本は、数字は勤勉のご褒美で付いて来るものとして、“誰もが生きがいある社会づくり”にシフトしてほしいのです。

 朝、ビバルディの「四季」を聴くと、なんと新鮮で幸福感に満ちる事か。とても300年前の作品とは思えません。創造主の最高の贈り物です。もう一度この事を想いたいです。