「新堀ラボラトリー(Niibori Laboratory=略はN.L.)を熱海市・伊豆山に設けました。
N.L.の日本語の意味は、新堀メソードの研究室ですが、主な目的は私が静かに執筆活動に集中するためものです。40年近く住み慣れた葉山の自宅に、私の書斎・NC(Nチャペル)もあるのですが、家の環境が変化し、N.L.を設けることにしたのです。
私の著作活動は大学時代からで、2023年現在、教本・書籍・曲集=本として世に送り出した数は「幸福道」で74冊です。長い期間ですが、全音楽譜出版社をはじめとした担当編集者の方々にお世話になり、学院内ではハーモニー編集部で手書き原稿のパソコン入力・修正・校閲などをやってもらっています。近年30年間位の私の原稿は、大半がここの編集部を通しているものです。
妻の澄さんに、私の手書き原稿をワープロやパソコンで清書してもらった時期もありました。その澄さんは2021年に病で他界し、広い葉山宅に私は独り暮らしとなってしまいました。
私は仕事に集中したいので、家のことは妻に任せきりでした。妻が体調を崩してからは、少しはやるようになりましたが、“男子 台所に入るべからず”の世代ですので…。
それで、独り暮らしになった私を心配して、三女の奈夕が「皆で一緒に暮らさないか」と提案してくれました。私は今までに何度か転居しており、ここ葉山宅は彼女が小学生の時代からお嫁に行くまで暮らした家なのです。そこに奈夕夫婦、孫の勇気、黒い豆柴(犬)のポン太と一緒に暮らそうと言うのです。私は昔ながらの家族(三世代+犬)での暮らしにも憧れていましたので、快諾しました。
ところがです!高齢夫婦だけだった葉山宅は劇的ににぎやかになり、私のこと以外のFAXや宅配便到着で玄関のベルは連続で鳴り…、奈夕主催のバーベキューの日には27名も来て等々…、じっくりと静かに思考することが難しくなってしまったのです。
勿論、ケンちゃん(奈夕の夫・原謙一郎)は、ジャグジー・サウナ付きの広い風呂場も掃除してくれ、シャンパンの栓抜きも楽々こなし、すき焼き,餃子,たこ焼きも天下一品のプロ級で調理してくれます(実際に調理は元プロです)。日常の生活面ではとても助かっていますし、一緒に暮らしてくれて独り身となった寂しさは和らぎ、感謝していますし、幸せいっぱいです。
しかし!私は残された寿命(2023年4月で89歳)で、今まで蓄積できたエキスを文字に残しておきたいのです。
幸い私たち新堀のギターオーケストラ(ギター合奏)は今までに、ウィーン楽友協会黄金ホールをはじめ、シドニーのオペラハウス、メルボルン、ミュンヘン、ロンドン、パリ、シンガポール、ポーランド、中国、台湾、米国、ハワイ、日本では日本武道館、上野の東京文化会館、サントリーホール、ミューザ川崎、みなとみらい大ホール等々とても書ききれない程、数々の名ホールで、スタンディングオベーションをいただけました。そしてその映像は、鮮やかに記録されています。私は、いつでも映像を楽しんでいただける時代の指揮者でいられるようになり、これもとても幸せなことです。そしてこの度、リニューアルした 「ニイボリミュージアム」 でも、これらの映像がいつでもご覧になれます。
話を戻します。
N.L.(新堀ラボ)での夢は、本や紙の新聞を読む 「文字文化」 が薄くなりがちな今の時代に、インターネット・動画とは異なった、かなり創造の自由がもてる道づくりの一端が出来ないだろうか…それに賭けてみたい気持ちが高まったので、行動したのです。
例えば “セゴビアの音は世界一美しい” と言っても、セゴビアの歴史的位置・時代背景…もしかすると、巨匠アンドレス・セゴビアの名すら知らないクラシックギター愛好者やギタリストの卵たちが存在する時代に入っていると思います。知らなければネット検索もしません。ですから、その素晴らしさを知っている人は、後世の人たちに伝える責務があると思うのです。
そのような意味でも、先生や学校、ミュージアム(資料室)は大切です。ヨーロッパの音楽学校やホールのミュージアムを拝見し、私は常々その必要性を感じていました。
インターネットでの検索では様々なことを一瞬にして調べる事ができますが、その文字や映像を、計画的に記録している人は少ないのではないでしょうか?
後世に伝える歴史や実践の成果を記録・発表するN.L.での文づくりということでも、N.L.設置の意味はあるでしょう。
この原稿もN.L.で執筆しています。
N.L.から、初めに伝えたいのは、次の事からです。
ある科学者曰く “人は一日5分、太陽光を充分に浴びるか否かで寿命に大きな差が生じる”。
私は生まれてから約50年間は東京杉並で過ごしました。生家は麻布でしたが、すぐに阿佐ヶ谷南(旧・馬橋は=新堀ギター音楽院発祥の地)→八幡山→南荻窪(旧・上荻)→高井戸→和田と転居しました。
阿佐ヶ谷にあった新堀ギター音楽院・日本ギター音楽学校(N校)に併設して新堀音楽幼児園もありました。
私は幼い頃、武蔵野の樹間から優しく漏れてくる光の波にたわむれて、友だちと手をつなぎ、歌遊びをしていました。やがて恋人に会いに砂利道を自転車で突っ走る時も、夕日へ向かって飛んで行きました。井の頭公園でのギターを奏でてのデートの時も、夕日はいつも見守ってくれていました。
新堀音楽幼児園を卒園した娘(奈夕)を連れて、葉山町(神奈川県三浦郡)に引っ越したら、更に海、山、夕日に親しくなりました。書斎(NC)は直西に向かって建て、出窓があります。
葉山の自宅へは、葉山小学校の横から3つの階段(合わせて110段)を登ります。海から標高150メートルで、仙元山登山道の中間に位置します。夕日が真正面から穏やかにやって来ますが、眼下の裕次郎灯台のすぐ先には江の島、その向こうに真鶴、熱海、箱根、そして富士山が拝めます。
自宅の窓は真西にあり、日出る東は家の裏側・山なので、日の出を見ることはできないのです。
葉山に引っ越して来た当時は、夕方から夜が全力投球のステージ活動があり、朝は遅かった音楽の仕事には向いていたかもしれません。
ところが高齢になるにしたがい、仕事も変化して行き、また私の身体が朝方になって行きました。午前中の方が心身共に冴えているので、その時間を活用することが増えました。そして早寝早起きが健康長寿の大元と感じ、生活が変化して行きました。
この時に、大転換のチャンスがやって来たのです。
葉山宅とは窓が真逆な「東向きのN.L.に住む」です。それを実行しました。
N.L.での午前7時、パジャマのままで遮光カーテンを開けると、“ドバァーン、グァーン、サァーン、サンサーン” と、朝日の大洪水を浴び、身体は宙に舞ってしまいそうになります。
まず超大型大光の直射光、そしてその数倍幅の反射光がながれ込んで来ます。部屋から見える海は巨大な鏡になって輝いています。私が今までに観た絵画の描写を超えた陽射しの量で、それが室内で乱反射される感じなのです。
室内のインテリアもテレビの画面も、全てはこのイグアスの滝のように降り注ぐ陽射しの中では、消えてしまいます。
そこに、通常の思考を超えて、本物の温かさ、元気、平和、夢を感じました。
N.L.の最高の夢は、正にこの太陽の光に抱かれ、生が蘇ることなのです。
自然の最高傑作は決して同じ作品を作らない!です。だから偉大、だから飽きない、だから永遠の憧れなのです。
ウィーンやシドニーで、スタンディングオベーションをいただけた新堀ギターオーケストラの映像を、ここで見てみると…勿論、奏者、Nメソードの楽器・編成・楽譜も皆、金メダル級ですが…、それを超えて 「飽きない選曲・プログラミング」 が最大のポイントであることを確認できます。
「飽きない選曲・プログラミング」 が “オールスタンディングオベーション”をいただけるための重要なポイントなのです。なかなかここに気付かない演奏者や企画者は多いのですが…。
飽きないプログラムにするために、私は各種音域ギターや様々な編成を考案・採用して来たとも言えます。
では、ギターの演奏会ということで、Niiboriの演奏会を振り返ってみましょう。中でも特に私が推奨するものは、次のものです。
7弦バスギターソロでのバッハの「無伴奏チェロ組曲」はギターとチェロの両方の味わいが出せます。各種音域のチェンバロギター9人で奏でるモーツァルトの「キラキラ星」はチェンバロではできない強弱の曲想とふくよかな余韻が魅力です。DANROKの「ロック・オブ・モーツァルト」等は、これを超える音圧の高いギターサウンドは他に聴けません。
又、ギターオーケストラと和太鼓群が共演した「NRM交響詩・才の神」(全曲で50分)は、正に日本Niiboriならではのものです。
コンチェルトでは、ソロ群(ソリ)にギターに加え原曲のリュートも加えたヴィヴァルディの「ニ長調のコンチェルト」。ソリスト2人または3人の掛け合い楽しめたジュニアーニの「ギター協奏曲 作品30番」。そして大宮哲氏改作の“ピアノとTwinkle(各種音域ギター5重奏)とギターオーケストラのための「W.M.(ワム)80」。これらに勝る飽きない曲は、滅多に存在しません。
このような最高のオリジナルに加え、古今の名曲や様々な編成、演奏する地域や背景も考慮した選曲とプログラミングで、非常に完成度の高い演奏をした場合に、オールスタンディングオベーション(聴衆の総立拍手)がいただけるのです。