【幸福道17】感動いっぱいの演奏 (1)

 演奏者にとって、お客様が感動して涙するほどの演奏表現力を習得する事は、大きなテーマでしょう。それも、いかにして早期に身につけるか。

 まず、“多くの人が涙するほど感動する演奏”とは…。

 それは、アメリカ人もロシア人もフランス人もアフリカの人も…どの国の人達も、皆が感動するものであり、ジャンルの壁もなく、あらゆる人達がその演奏を聴くと、平和心に満ち、幸せ感いっぱいになる演奏が理想です。

 “一人でも分かってくれる人がいればよい”とか “今、ここの人には理解しにくいかも”と言う奏者もいましたが、音楽情報が溢れ、耳の肥えた聴衆が多い現代では、それは99%当てはまらないでしょう。現代の聴衆は多くの音楽を知り、感性も豊かな人が多いです。ですから大半のお客様が熱く拍手するものが本物(感動できる演奏)と考えてよいでしょう。

 特に、現代の世界共通となったドレミファの音階を使用した音楽(西洋音楽)、その音楽の歴史の厚いヨーロッパの一流ホールでのオール・スタンディングオベーション(総立ちの拍手)を頂けた演奏は、最高に感動を生んだ演奏と言えるでしょう。

 私達は、欧米=ウィーン,ミュンヘン,シドニー,メルボルン,ロンドン,パリ,ミラノ,ポーランド,ベネチア,マドリッド,オーバリン(オハイオ),ホノルル、そしてアジア=台北,シンガポール,北京,南京,ソウル等の大ホールで何度もオールスタンディングオベーションを頂く事ができました。その多くの映像が記録されています。

 では、どのようにしたら感動あるステージにできるのか、演奏表現力を養えるか、具体的な話に入りましょう。

 それはまず、生きた 「リズム」 があるかが重要です。

 西洋音楽の三要素は、「リズム」 「メロディ」 「ハーモニー」 と言われています。

 この中の「リズム」は特に、昭和20年代以前の日本人にとっては苦手なものでした(日頃一般の人が親しんでいる音楽に裏打ち、シンコペーション,ワルツ系の音楽がほぼ無い時代)。さらにその前は、「君が代」でも示されているように、日本の音楽には和音(ハーモニー)も使用されない音楽が多かったのです。

 一部の人達を除き、一般庶民が西洋音楽を聞く事は少なかったのです。庶民がそれを楽しめるようになれたのは、第2次世界大戦後とも言えるのではないでしょうか?

 生まれた時から西洋のリズムやハーモニーに親しんできた西洋の人達とは違い、以前の日本人の音楽の先生たちは、まず理屈で西洋音楽を理解しようとしたと思います。それで、お弟子さんたちにも、理論を細かく教える先生が多かったのではないでしょうか。私もその弟子の一人とも言えます。

 国際ギターコンクールでも、日本人の選曲はリズムの動きが少なく、分析が必要なJ.S.バッハの曲で入賞できる人が多かったと記憶しています。

 私が、感覚的・感性で音楽を教える…歌ったり,指揮をしたり,時には踊ったり,また映像を見せたりして…そこに到達するまでには時間が掛かりました。(今の新堀ギター音楽院の先生たちは、それが当たり前にできていると思います。私からすれば、「もう少し現代ギター教本など教本の文章も生徒さんに教えてあげて」と言いたいくらいです。)

 私自身が苦労をした事もあり、リズムを楽しく学ぶ、「NRM=ニイボリ・リズム・メソード」の本を作ったのです。

 できている人は良いとして…リズムの話に戻ります。

 私の言っている「リズム」は、細かいニュアンスも含んでのリズムの事です。例えば3拍子では、昔、チンドン屋さんやサーカスで演奏していた 「美しき天然」(田中穂積 作曲)とJ.シュトラウスのウィンナーワルツは別物です(指揮で表わしたら「美しき~」は、ほぼ正三角形,ウィンナーワルツは8の字)。また2拍子でもマーチ(行進曲)とポルカは違います。

 「リズム」 は音楽の 「たましい=いのち」 です。ですから、これを間違えると、どんなに神業的に速弾きが出来ても、コードを自在にあやつれて終演しても、音楽・曲の魂の表現から見たら、とんでもない方向に行ってしまっているかもしれないのです。

 以前、海外の優れたギターアンサンブル(合奏)をレッスンした時の事です。そのギターアンサンブルは、春爛漫の隅田川を表現した曲(歌)を力強く行進曲のように演奏したのです。内声パートのp, i, p, iのアルペジオは、平和で穏やかな川の流れを表わしているのに、これを力強く軍隊行進曲の様に演奏してしまったのです。私は、その表現は誤りであり、「リズム=たましい」 を読み間違えている事を指摘しました。

 この名曲、滝廉太郎作曲の「花」は、武島羽衣の歌詞からも分かるように、墨田川沿いの満開のさくらを船見で楽しむ様が見事に表現されている曲です。川面に春うららの微風が心地よいリズムを生み、ギター合奏の伴奏(内声)はp指(親指)とi指(人差し指)をアルアイレで小気味よく刻み、ギターならではのリズム表現が出来る名曲です。四季豊かな日本育ちの人なら感覚(右脳)で知っています。しかし、地球上では四季がない地域もあります。故に、春を迎えワクワクする喜びや、穏やかな川の流れのリズム=「命」 を最初に知って頂く事が大前提なのです。映像を見てしまえば、感性豊かな人はすぐに分かります。

 今年(2022年)のウィーンフィルのニューイヤーコンサートの映像を見ていて、非常に驚き感動した事があります。勿論、ウィーンフィルの優れたメンバー(新堀ギターオーケストラで言うとAグループ=トップのグループ)だからこそ、そして、ウィーン楽友協会(ムジークフェライン)・大ホール=黄金ホールだからこそ出来た事だと思いますが…。

 ちょっと話が横にそれますが…、ホールも楽器と同じに長い年月をかけて、響く音が磨かれていくと言われています。このホールも響く構造の上に100年以上、良い音を響かせ続けた歴史があり、楽器で言えば超銘器であり、その絶妙な響きの素晴らしさを、私は2007年にここで130人編成のギターオーケストラを指揮した時に実感しました。ここでしか生まれない“間”を作ることが出来るのです。特にワルツの第1拍目の空中に浮かぶ“間”=リズム=幸福感は、文字や楽譜ではどうしても表現出来ないものです。

 話を戻します。

 ウィーンフィルのニューイヤーコンサートの放送では、宮殿でのダンスの風景と一緒に、本場のウィンナーワルツを世界にプレゼントして頂け、私はドキドキ・ウットリを繰り返して来れたのですが、今年は世界最古と言われるスペイン宮廷馬術学校からの中継が入ったのです。

 そこに映ったのは人間の踊り手ではなく、10数頭のそれはそれは美しい白馬たちでした。騎手に操られ、一直線に並んで静々と入場して来た馬たち…なんと馬たちがポルカ(ヨーゼフ・シュトラウス作「ニンフのポルカ」)に合わせて踊っているではありませんか。フワッとしたゆっくりなポルカです。その音楽の間を、馬たちがいとも自然にやってのけているのです。まるで重力を感じさせないようなステップで…。そのリズムの絶妙さに私は仰天し、呼吸がどこかに飛んで止まって行った様な感覚に包まれました。この馬たちにとっての指揮者は騎手であるとは思いますが…驚きのシーンでした。

 良く響くホールでの、100名以上のハイレベルな奏者が集ったギターオーケストラの演奏では、奏者が息を深く吸う程、指揮者は空中(点前)で豊かに“間”が保てます。その指揮者の身体が弓なりに後ろに反ると“間”がとりやすくなり、両足は閉じた方が体を回転しやすくなります。

 加齢で足腰が弱くなると、身体を安定させようと足が開いてしまうので、スムーズに回転ができなくなります。また、指揮台を使うと、落下の怖さが加わり足の動きが悪くなります。それで指揮者落下防止の手すりを付けると、両手が衝突する危険が加わり、多彩な動きが出来にくくなります。故に指揮者は加齢とキャリア(経験・学習)と共に、無駄な動きを排除する方向に向かいます。これに成功した指揮者は寿命が長くなるのですが…。

 今年のウィーフィルのニューイヤーコンサートの指揮者は、80歳のダニエル・バレンボイム氏で、私もここで指揮( 74歳の時)した「こうもり序曲」も指揮されて興味深かったのですが、非常に無駄のない指揮で…オケ(もちろんコンマスも)が一流であり、オケとの信頼関係があればこその指揮だと感じました。

 しかし、おそらく撥弦楽器のギターオケではあのような指揮は不向きですし、私はやはりカルロス・クライバーの様に指揮者が音楽を身体の動きで表現する指揮が好きです。それに、私の大好きなワルツはダンスのだいご味です。動かないダンスはありませんし、指揮も残念ながら動かないわけにはいきません(笑)。中でもウィンナーワルツは3拍子ですが、指揮は8の字系の上下動(2拍子系)です。ここが、ややこしくて面白いのです。指揮法を極めようとすればするほど、このウィンナーワルツを極めたくなるのです。単純でいて奥が深く、極めるほど、人の生きて行く事の幸せ感すら見えてきます。正に“幸福道”そのものです。